人材を育てる人材を育てる。


先日かいた人材育成についてのエントリに対して、眠る開発屋blogさんが派生エントリをあげてくださっている。
(トラバしてくれればいいのにー)


「ある程度自分で考えて分からなかったから質問している」
 「自分で考えるより他人に聞いた方が早いから質問している」
 「あくまで一意見として聞いているわけで、決定材料にしないこともある」

最近だと、このへんはもう大前提なんだよなぁ。。。



あー、ぼくの書き方が悪かったのかなあ。
「ある程度自分で考えて分からなかったから質問している」などは、教わる側の考え方ですよね。

先日ぼくが書いたエントリは、人材を育てる人材を育てるってぇ話なのです。
教わる側がちゃんと考えた末に聞いているのかどうかを「教える側が」感じ取って適切に反応していないとダメだよねって意味で書いております。

教わる側は自然体でいいんじゃないですかね。
(まあ、本当に何も考えてないと困るけれど)

それ(相手がどの程度考えてから質問しているのか)を考えずに「目の前の仕事いそがしいし、概念とか教えた方がいいんだろうけど、そういうのスッ飛ばして、解決策だけ教えちゃえ」って面倒くさがってしまうと、折角モノを教えるチャンスを逃して(結果的にはお互いに)モッタイナイよねって話なわけで。

もちろん、それは状況だとか、ビジネスモデルによるので、人を育てる必要がない会社や、育てるよりも目の前の仕事を優先した方が高利益になる仕事もあろうかとは思いますが、育てることを面倒くさがって目の前の効率を求めすぎてしまって、中長期のリスクになったり、あるところから成長が鈍化してしまったりして、損をしている会社が凄く多いように感じるわけです。



少し話はズレるのですが、マーケターの河野さんが(この場合は河野さんの私塾について書いてるのだけれど)下記のようにブログに書かれていて、これには激しく共感してしまうのです。

上司部下の関係なら正解を示せばいいし、失敗するのをわかってて見守るってのは相当余裕があるとき以外はできないんだけど、私塾の場合はいくら失敗してもいいし、失敗して得るモノがあるなら失敗するまで見守ってあげられるので、その違いはとても大きい。


普通は、失敗を見守ったり、実技ではなく概念から教えたりできるのは余裕がないとできないのです。
その結果の大きな違いが出るとわかっていても。

だからこそ、ぼくは先のエントリで「できる範囲の事でいいから」と但し書きをつけて、「将来のためのちょっとした工夫をすることが、後々の自分や会社のために大事なことなのだと思うのです」と書きました。

うまく説明できないですが「できる範囲の」ちょっとした工夫や気遣いだけでも、それは後々に大きな違いを生むんですよ、本当ですよ。




・・・っていうか、先のエントリは吉良吉影の名言に洒落たタイトルを使いたくてカッとなって書いただけなんです。もちろん反省はしていません。