管理したいという本能的欲求について。


前回のエントリで、僕はこんなことを書いたわけですが、


よくある企業の失敗として、成長期から安定期に入る過渡期に『変態排除』をしてしまって、結果その企業「らしさ」がなくなり、パワーダウンする・・・というのは、よく見かけます。
成長期から安定期に入る時に、乱気流にハマるみたいに失速する企業が多いのは、ここが原因だと僕は考えているのです。


この例に限らず、事業や企業を『成長期から安定期にソフトランディングさせる』ことは本当に難しい。
ものすごく難しいんだ。


でも、たいていの場合、経営者やリーダーは具体的な問題が噴出するまで気づかない。
または気づかないふりをする(不況のせいとかにしちゃうことが多い)



最近、よく社内で言いまわっているのだけれど『管理は商売の一部でしかないのだから、管理自体が商売そのもの、仕事の本質であるかのように考えるな』ってこと。

・・・自分では大事にしているマインドなんだけど、どうも言葉にするとチープだな(汗)
誰か、格好良く言い換えてくださいw



事業や企業が、成長期から安定期に入る段階になると管理体制の強化が必須になってくる。
その時に、陥りやすいのは、『管理欲求の噴出』だ。

人間に元々そなわっている欲求なのか、日本人の文化なのか知らないけれども、僕の知る限り、人間は『管理したがり』だと思う。(そして、それと同じぐらいナマケモノでもあるのだけれど)


成長期から安定期に入る段階になると、この管理欲求が過剰に反応してしまうのだ。
『企業として』とかいう枕詞をつけて、『○○は管理されるべき』と。


まあ、そこだけフォーカスして切り取るなら、『管理されているんだから良いことじゃない』みたいな話になるのだけれど、その反作用が語られることは少ない。反作用的に売上げが下がったりモチベーションが下がることには言及されなかったりするわけだ。

管理は商売のためにあるのであって、管理は管理のためにあるわけではない。
そして、管理は仕事ではない。管理はツールでしかなく、それ単体で仕事になることなどない。
(上手く表現できずにすみません。意味つたわるかなあ?)


全体最適化を行うために段階的に局所的な最適化を行うためのツールとして管理を使うことができる人は、割と少ない。
だって、それを行うためには文化創造とかビジョンとかいうような大きな視点が必要なんだよ。



管理は全体最適化には絶対になり得ない。
それは局所的な最適化に過ぎないんだけど、まるで全体最適化を行っているような錯覚に陥るんだよな。