お客様により良いサービスを提供していくためには組織に属する人の幸せとパフォーマンス向上は、とってもとっても重要なことなので、365日24時間、週7日トゥエンティーフォーセブンお客様と組織のことばっか考えてるわけですが、最近また中間管理職な部下とミーティングしたり雑談したりしたので、その時に話したことを自分のためにもブログへまとめておきます。
このブログにはよくそういうエントリ書いてるけど、実際のところ僕は別に人材育成のエキスパートではないし、そもそも「育成」って言葉に違和感を感じてる人間だし、僕みたいな欠陥だらけのダメ人間の部下にされた人かわいそうって思ってるくらいなので、このエントリはあくまでも僕の経験則と勝手な思い込みによるもので自分なりこうじゃないかな、と考えていることを記したものであって正解が書かれているものではないです、多分。共感してくれる人がいれば嬉しいけど、反論されても嬉しいです(何だそりゃ)
■職務として求められているレベルにない社員とどう接するのが良いのか?
僕が中間管理職なひとから『職務として求められているレベルを超えられない部下どう扱えばいいのか』と聞かれて、まず考えるのは「その期待は適正か?」ということ。
よく勘違いしているなーっと思うのは(僕の観測範囲だけかな?)、「与えられた職務と、その人のレベルは合ってるもの」ということが前提になっている場合。
そりゃあ、マネージャーならマネージャーらしく、部長なら部長らしくあるべきだし、クリエイターならそれらしく高いスキルを持つべきってのは、正しいけども、それは落とし穴。
与えられた職務とスキルがマッチしている場合の方が珍しいんだよ。
(そうならない組織を作るべき、ってのは正しい答えだけど、このエントリでは「スキルと職務がマッチしていない時はどうする」というトピックを扱っているものなので、そこはツッコミ不要)
「ソースは俺」的なアレで、僕の拙い経験から言いますと、そういう状況を整理してみると、上記のようになっていることが多い。
本人とは別のところで期待値の方が急角度で高まってしまっている状態。
期待をするのは良いんだけど勝手な期待だったりするパターンですね。
「僕からは何度も言ってるんだけど、ダメで」
みたいな発言が飛び出していくる場合は十中八九、こんな状況な気がするよ。
あ、これ、時間軸は例ですので、1年後に期待が高まりやすいという意味ではないですからね。
(このチャートに時間ラベルつけなきゃよかった、失敗・・・)
期待に応えてくれない部下を叱咤して、圧力をかけ続けると、大抵はこういう風になることが多いと思う。
(もちろん、万事がすべて、こうではないから例外は置いておいて)
ストレスによってクオリティが低下したり、叱咤によって一時的に回復したりすることを繰り返す。
(僕も部下にこういう思いをかけてしまったこともあるし、今でもそれなりにあると思うから反省するよ)
この例で言うと、2~3年目に期待値を下げてやっている(←偉そうなところがポイントだよw)のに、一度も期待に応えることはなく、むしろ成長するどころか退化している結果だったりする。
でも、それ、適正な期待値なのかね?
よくこのチャートを見ると、3年目になるまでは、一度も本人のスキルに見合っていない、勝手な期待が高まっていただけってことに気づけると思うんだけど、それに対してマネジメント側が『期待値を下げてやっているに、一度も期待に応えていない』って言うのは、傲慢どころの話ではなく、マネジメント放棄といえる。
(何度も書くけど、僕もそういうことやってましたし、今でも少なからずそういうことをしてしまうことがあるので自戒をこめて書いています)
で。
3.5年目に期待値のオレンジのラインがどどどどーーーーんっと急降下しているのは、どういう状態だかお分かりでしょうか?
マネジメント側が疲れちゃった状態です。
本人に叱咤しまくった結果、叱咤していた方が疲れてしまうというw
待するのを止めたことによって社員はストレスが軽減されて、元のパフォーマンスに戻るんじゃないかと別の期待が生まれますが、ハッキリいって、そんなことにはなる可能性は1割もないと思う、経験上。
「期待に応えられなかったやつを誰にでもできる軽作業にまわす」みたいな人事を是とする人もいますが、僕はこれやっちゃダメだと思うんだよな。だって疎まれる存在を作るだけだから。
こうなってくるとね、期待に応えられないことで心が折れてゾンビのようになった社員と、強く言い続けることに疲れてどうしていいかわからなくなったマネージャーとで腐臭と悲壮感が漂う職場になっていることが多いわけで。
この対象の社員がですね、まわりからも疎まれるようになってくるんですよ。
これ、もう最悪な状況なんだけど、人間の集団心理っつーんですか?あれ止まらんのですよ。
あの人はドン臭い人みたいなレッテルが貼られていて、悪く言わないまでも失笑されている存在になって、チームの村社会化が進むんですね。村社会化ってアレじゃないですか、村はずれに「ギリギリ村民として認められているけど、叩かれるのが社会的役割」みたいな人がいるわけですよ。それだけならまだしも(いや十分すぎるほど最悪だが)他の村民、いや社員同士のコミュニケーションまでもがタコツボ化していって、どんどんチーム全体のパフォーマンスが落ちていく。
そこでマネージャーが出す最後の手段が、「バスから降ろす」つまり辞めさせようとするということだったりしますが、こうなったらもう遅い。
その人の人格ではなくマネジメントが原因なのだから、ここでそのひと一人を辞めさせても、(一時的にはチーム全体のストレス源を小さくはできるけれども)何も解決はしないんだな。
■じゃあ、どうすればいいんだ?
最近どっかで(ツイッターだったかな)「気にはするけど期待はしない」って言葉を見かけて、これは良い言葉だなーっと感じたんだけど、まさに人材育成における心構えとしては、そういう感じでいくと宜しいんではないかと思っています。
まあ短期的には「ほんの少しのスキルアップ」を目指せるような環境を作っていくのが良いんではないかと。
(下のチャート、ちょっと思惑と違う感じになっちゃったけど、「気にはするけど期待しない」ってのをイメージしてくださいませませ)
「過度な」期待は、悪い意味での軍隊式・特攻隊型のマネジメントになりがちだけど、「適切な」期待は、適切なマネジメントを生み出すよ。足りないスキルや足りない経験を具体化することができるから。
「人材育成は長期投資だと思っています」とかクチでは言うのに、短期的なリターンを欲しがっちゃうのが問題なんだと思う。
いや、僕は別に「短期的なリターンを求めるのがダメだ。視野が狭い!」とか言いたいのではないです。
短期的なリターンを得て、それを次に投資して、小さな投資を繰り返さざるを得ないのは中小企業としては普通だから。
人材育成でもビジネスモデルとしても。
ビジネス的に長期的になんか考えてらんないビジネスを営む組織こそ、そうせざるを得ないレベルにあることを棚上げして、個々人の資質や能力に責任を突きつけていくのを止めて採用やコミュニケーションを工夫すべきでしょう。
努力より工夫って部下に突きつけるのならば、組織もそうあるべきだと思ひます。
誰をバスから降ろすか考えているような組織ではなく、行き先がマッチしないと感じる人が自分のバスを探せるような関係作りを。
そして、排除ではない意味で「誰をバスに乗せるか」だけを考えられる組織を作りたいものですなあ。。。