自分が責められているという感覚、あるいは物事には”責任をとるべき誰か”がいるという考え方について。

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明け方から溜まったタスクを片付けてたらノリノリになってきたので、この勢いで個人ブログを更新しようと思ってブログの管理画面を開いたら今年に入ってから初めての更新だよと気付いたフジイです。

あけおめことよろ、今年も一年がんばるぞい。

「私が悪いってことですか!?」

さて。仕事や作業の結果に問題があるときに、自分という人間の問題があると感じてしまう人って結構いますよね。

A: 「〇〇という問題があるとわかりました」

B: 「私が悪いってことですか!?!?」

A: 「そんなことは言ってないですよ……」

B: 「言ってますよね!?」

(……なんだろ、これ実際にあったわけじゃなくて想像で書いてるだけなのに、辛くて重い気持ちになりますね…)

読んだことないのですがエンジニア向けの「Team Geek」という本にこんな一文があるそうです。

君は君の書いたコードではない。大事なことだから何度でも言うが、君は君の書いたコードではない。

ミスや様々な問題は仕事をしていると、ある程度は発生してしまうけれども、それを指摘されたとしても、あなたという人間が否定されているわけではないよ、という話です。

SEM-LABOの阿部さんもリスティング広告に置き換えて「君は君の作ったアカウントではない。」という名エントリを書かれてて、僕はたまに読み返してます。阿部さんかっけー。このエントリ大好き。

これってチームを運営する上で、とても大切なことだと思うんだけど、仕事の問題点が報告・改善されないようなチームはどんどん腐っていくし、かといってボッコボコにダメ出しされながら残った者だけが「使える人」になるような振るい落とし型なんて機能しなくなってきてますやね。

意識するだけじゃない方法論があれば知りたいところですが、意見を言う側も、受け止める側も「仕事や行動に対して意見を言う。人格・人間の否定ではない」という意識を徹底していくしかないような気がします。

Team Geekで書かれているからには、こういった話は日本人だけの話じゃないんですね。
あのピクサーなんかも、ここらへんに気を使っていて会議や意見の出し方に気を使っているらしいですし(詳しくは知りませんが)

いきなり話はズレますが

仕事の話ではないのですが、先日ですねコーヒーを買おうと思って朝コンビニに寄ったら、お客さん同士が喧嘩してたんですよ。

フォーク並び(一列に並んで先頭の人が空いているレジに行くやつ)してるとこに、各レジに列をつくるんだと思った人が前に割りこんだ形になってしまったようです。

これって、ただの勘違いですから『どっちも悪くない』と思うんだけど、店員さんが「こっちのお客さんが間違い」とか火にガソリンをブチ込むようなこと言って殺伐なんてもんじゃない状況になって収集つかない感じになってしまっていた。

これはさすがに仕事の話と違って『間違った行動(割りこんでしまった)』が事実だとしても、ただの勘違いなんだし、店員さんが断罪するようなことではないよね…

そりゃあ、問題が発生した時には原因を作った人ってのは必ずいるわけだけど、だからといって原因を作った人がイコール”罪人”ではない。『やり玉にあげられるべきか否か』は別の話であるはず。

そして話を戻しますが

最初の仕事の話も、その次のコンビニの話も、
『物事には”責任をとるべき人”がどこかにいる』
…みたいな考え方が根っこにあるのが原因なのかなーと思ったわけです。

何か問題が発生したときに「私が悪いっていうんですか!?」って言ってしまうタイプの人も、どこかで『物事には”責任をとるべき人”がいる』って思っているから、自分が”犯人・罪人”にならないようにしているのかなあと。

赦すとか、赦さないとかの話ではなくてですね、それ以前に『原因を作ったとしても、その人がやり玉にあげられるべきではない』というような物事って沢山あると思うのですよ。

仕事や行動に対して意見を言うこと/言われることは人格否定ではないって考え方が理解しきれなかったっり、逆にどうでもいいことで人を断罪してしまうタイプの人は、まずは『物事には”責任をとるべき人”がいる』って考え方を溶かさないといけないのかもしれないなあとボンヤリ考えた日曜なのでした。

特にオチはないよ。

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