パン屋襲撃的ななにか、あるいは刺激的なものと地味に美味しいものについてのあれこれ。

今日は思い立ってポエム的な雑文を投下します(独り言的なものなので読んで得られるものはないです)。
唐突かつ、少し前のことなんだけど、バンを売ろうと思っていたときのことを書く。

その当時の僕はパンを売りたくて、パン屋さんと相談をしていた。
どうしてパンを売りたくなったか覚えていないけれど、パンを売りたいと思っていた。

最初の打ち合わせで僕は(その当時)通販で売れているパンを見せたり、東京で話題の行列のできるパン屋さんの情報を見せたりして「いま売れているパンって、こういうのなんですけどどう思いますか」と伝えてみたりしていた。

パン屋さんがそういう売れそうなパンを作ってくれたらいいなと考えていたからだ。なんとなく無理だろうなとも思っていたけれど。

パン屋さんは「なるほどね」と僕に言った。
その当時――いまもそうかもしれないけど――、売れていたパンは「ひとくち目が美味しいパン」だ。

僕の理解が間違っているかもしれないけれど、彼は僕に「ひとくち目」が美味しくて脳に刺激を与えるタイプのパンだね、みたいなことを言っていた、気がする。

そして、俺はそういうパンは焼いてないんだよねということだった。

「これは俺には作れないかもなあ。そういう方向性でパン焼いてないんだよね…」と割と真面目な顔つきで言った。そういうパンを俺が焼いても売れないんじゃないかな、みたいなことをそえて。

このままだと売れそうなパンを焼いてもらえそうにないけれど、仕方がないのでその日は「また打ち合わせしましょうね」と言って切り上げることにした。

帰り際、パン屋さんは僕に沢山のパンを持たせてくれた。
「持って帰って食ってみてよ」と。
焼いたらサクサクする食パンとか、ふわっとしてる食パンとか、それから名前のわからない丸いパンとか。

家に帰ってしばらくしてから僕は大量にあるパンを何枚かスライスしてトースターにほおりこんだ。
最初たべたときの感想は「普通に美味しい」だ。

普通に美味しい、つまり美味しいけれどわざわざ5駅離れたところに買いにいったり、予約して買うするほどの感じではない。そういう普通に美味しい、だった。

パンは大量にあったので、もう少し食べて減らしておくかとパンを更に数枚ほどスライスして焼いた。
二回目も普通に美味しかった――いや、正確に言えば一回目より美味しかった。

「あれ、これけっこう美味しいな…」

三回目をトースターにほおりこんだ時に食べ過ぎかなとは思ったが、不思議な美味しさに取り憑かれはじめていた僕は焼き上がりを待って、今度は焼いていないパンと、焼いたパンと、ジャムをぬったパンと、マーガリンをぬったパンを食べた。どれも美味しかった。そして不思議なことに食べても食べても胃が重くない。

二回目の打ち合わせで、パン屋さんはにこにこ笑いながら言った。
「ああ、美味しかった?俺の焼いたパンはすっげえ地味だけど、毎日食べても飽きないように作ってるからね。」

そんなことが可能なんですかと聞くと、彼は「小麦粉は大して高いのじゃない」と言った。
微妙な材料のチューニングで飽きないパンを作っているんだという。

「ひとくち目が美味しいパンって重いんだよ。食べてて疲れる。俺の焼いたのはジャムとかマーガリンぬっても味が濃くなりすぎないし、毎日食べてても疲れないパンをつくってるんだ。俺が焼いたパン、食べてて疲れないでしょ?」とパン屋さんは言った。

なるほど。刺激的ではない美味しさを地味に表現したパンというわけだ。

話せば長くなりすぎるからこれくらいにしておくけけれど、結局のところ僕がパンを売ることはなかった。

パンを売らなかったのは「売れるパン」を焼けなかったからではなくて、彼の絶妙なチューニングを活かして「これは売れるぞ」というものを開発はできたのだけれど、別の理由で販売開始にまで漕ぎ着けることはできなかったから。それは今となってはどうでもいいことだけど。

これ以来、僕は食品だけではなく色々なもの(例えばコンテンツだとか、例えば仕事だとか)でも「ひと口目が美味しい刺激的なもの」と「疲れない地味に美味しいもの」についてかなり意識するようになった。意識をしていないと「疲れない地味に美味しいもの」を見逃したり、過小に評価してしまうのではないかと考えるようになったからだ。

もちろん、どちらが良いとかそういう話ではなく「ひと口目が美味しい刺激的なもの」も素敵だと思うし大好きだ。ただ、それに比べると「疲れない地味に美味しいもの」を見つけることは結構難しい。
そのパン屋さんのパンみたいに身近にあるのに見過ごしてしまいがちになる。

脂や塩の効いたもの、ガツン効いた調味料、派手で見栄えのするもの。そういうふうなものは簡単に沢山見つかる。
食料品もそうでないものも刺激的で美味しいもの・刺激的で面白いものは見つけやすいからだ。

そういうものばかりにならないように「疲れない地味に美味しいもの」をちゃんと身の回りに置いておきたいと思う。
食品だけではなく色々なもの(例えばコンテンツだとか、例えば仕事だとか)でも。