全体は部分の総和以上のなにかであって、部分と全体を再帰しながら抽象化しないとわけわからなくなるけど、そもそも既にこのブログタイトルが意味不明になってるな。

先に書いておきますが、今日のブログはネタがなくて苦し紛れに書きました。もうまとまってないし、なに言いたいんだよお前は的な内容になっております。年内に終えないといけない仕事が終わってない中で更新をしなくてはいけないという追い込まれから生まれた謎の雑文ですのでスルーしていただければ幸いです。という逃げの前置きはここまでにしておきます。言っとくけど感想はいらねえぜ。

科学とか学問の世界のひとが「複雑なものは複雑なまま考える」ということをよく言うような気がします。

この言葉の初出というか出典を知らないのですが、アリストテレスの「全体とは、部分の総和以上のなにかである 」から遡るみたいな話もあるようですね。知らんけど。

僕は無教養な人間であるものの、ここらへんの考え方が好きなんですね。
企業でも、人間でも、ちょっとしたシステムと言えるようなモノゴトのほとんどは複雑にできていて、数え切れないくらいの要素で組み立てられている。

先日も雇用とか働き方について書いた時も、あんまり単純化しないで色々な立場の人の色々な考え方をバランスさせるには根本的な問題に取り組みつつ改善スピードを緩やかにせざるを得ないみたいなことを書きましたけれど、それもこれと同じ話でして、何らかの複雑の要素が組み合わされたシステムは単純な(一面的な)ものの見方をぶつけ合っても改善は難しいなあと。

部分の研究が無駄というわけではなく、全体と部分の関係を再帰しながら抽象的に理解していく必要があるのかなと思います。なに言ってるのかわけわかんないですね。僕も雰囲気で書いてるのでよく分かってないけどね(ぉぃ)

社会システムだけじゃなくて、人間のちょっとした心理だったり、ビジネスなら業界構造だったり。
購買に至る顧客の動きなんかもそうですが、部分的に理解しようとしても複雑なものの一面でしかないから、部分的な理解だけではなくその部分が全体にどのような影響をしているのかの理解もしていかないといけないって話。もうほんと説明できてねえなこれ。

こういうことを言うと「ものごとをシンプルに考えることは大切」という反論があったりしそうですが、ものごとをシンプルに考えるには非常に複雑な要素を理解する必要があるのですね。さっきも書いたけど全体と部分の関係を再帰しながら抽象化していくみたいな思考法がいいのかなと(これ何って言うんでしたっけ。なんか名前あるよね、たぶん)

つまり「ものごとを的確かつシンプルに捉える」っていうことは「複雑なものは複雑なまま考える」と同時に行う必要があって、いわば抽象化が必要なんであって単純化してはいけないんだと思います。説明になってないけど。
複雑なものごとを単純に考えるということではなく、本質的な要素や概念に置き換えることですから、複雑なものごとを抽象化するには、そのものごとに対して深い知識や思考が必要ということになります。

ビジネス的な課題だとか社会問題とかを考えるときに、「複雑なものを複雑なまま考え」られているか、はたまた抽象化して捉えるべきときに思考停止して単純化してしまっていないかを考える必要があるってことです。
僕もできているか怪しいけど、姿勢としてはそうでありたいなーと。

なんか意味不明のことを書いてしまった。
毎日ブログ更新するために寝不足だからだな…。

ちょっとこれ心と思考力に余裕があるときにもう改めて書き直すわ。正直、すまんかった。来年に書く。来年になってから。

まあ、勢いで一応はこのまま最後まで書いちゃうけど、抽象化とか複雑なものごとを理解するとか、大昔の人から延々と同じことを言ってるわけで、解決するための思考方法はこれまた大昔から哲学者やら思想家が解決策を出してるから素人が考える必要ないはずなんだよね。たぶん。

まあ数千年前に解決方法が提示されていても、人類はいまだに同じことを繰り返してしまってやーねもう、って思ったってだけの話なんですよ(なんのこっちゃ)。