恐れるべきは窮地に陥ることではなく、判断力というパフォーマンス保てなくなること。

「冷静になりましょう」とか「落ち着いて対処しましょう」なんて言葉に対して「は?俺は冷静だっーつの!」とキレながら叫ぶ。明らかに平静を失っているのに自分は大丈夫だと思っている。

……そんな状態の人をバカだなあとか、感情的だなあと嘲笑うことは簡単ですが、「もしかしたら自分もそうなるかもしれない」と思っていた方がいいかもしれないよ、という話を今日は書きたいと思います(この冒頭のセリフと内容はあまり関係ないんだけどよかったら読んでくださいw)。

「貧すれば鈍する」という言葉がありますね。

日々の生活に困るような事態になると賢い人も能力が発揮できなくなったりするという意味。
当然だけれど貧乏人は頭が悪いとか金持ちは頭が良いという意味ではないw

「ストレス耐性」なんて言葉がありますけれども、その耐性の閾値を超えたストレスがあると「鈍する」んだろうなと思います。

僕自身はあんまり自分のストレス耐性を信じていないんですよね。だからできるだけ自分がストレスを溜めないようにしてる。

むしろ、「自分は耐性ある方」みたいに自信をもっちゃうと判断力を失う(鈍する)閾値を超えるかどうかのところで自分を信じてしまうという致命的な判断ミスをしそうじゃないですか。
ゲームじゃないんだから、自分の残りHPやMPが可視化されているわけじゃないし、むしろパフォーマンス低下状態になればなるほど自分の状態異常を認識できなくなっていくわけですから。

「パフォーマンス低下状態になればなるほど自分の状態異常を認識できなくなっていくのだから、自分の精神的な健康状態は自己判断できない」という考え方をベースに置くだけで、普段の行動を良い方向にもっていけるのではと思っています。

事業をやっているとハイストレスな状況というのは必ずくると思います。いや事業をやっていなくても人生で普通に暮らしているだけでピンチになる、窮地に陥る、精神的に追い詰められるということは誰だってそういうタイミングが来ることはあります。

そういう窮地に陥ることを怖がる人は多いですが、本当に怖いことは窮地に陥ったときに判断力が保てなくなることじゃないでしょうか。

「あのひと、なんで状況が悪化するようなことするんだろう」とか「あんなになる前に、こうすればよかったのにね」なんてのは精神的な健康状態を保てている人の言葉。

例えば、僕が自分の会社の事業で大失敗をして(縁起でもない例えだけれどw)ひどい状況に陥るとしても、判断力があれば現代の日本で生活できなくなるようなことってないと思うんですよ。
けれど、精神的な健康状態が悪化していることで普段は簡単に思いつくようなことが思いつかなくなるものです。

判断力を失ってしまうと、生活を立て直すことすらできなくなってしまう。
生活できなくなる、みたいな極端な話でなくてもいいんですが、健康な精神状態で問題ない判断力をもっていた人がちょっとした不調で判断ができなくなるみたいなことって日常生活にも溢れていると思うんですよ。

繰り返しになるけど、窮地に陥ること・ピンチになること自体を怖がることはないと思っています。

でも、窮地に陥ったときに普段の判断力が保てていなかったらそこから抜け出すことはできないし、判断力を失ったら自分が判断力を失っていると気がつくこともできなくなる。

だから自分の判断力が落ちることは恐れるべきだと思うし、できるだけ普段から回避するようにしなくてはならないと思う。

ストレスの被弾は最小限にして(継続的にストレスを感じる環境に身を置かない)、被弾したら回復に努める(睡眠はしっかりとる)、回復していない状態が続かないようにする(寝られない・食べられないにならないように)、こういうことを普段こそ気をつけていかないといけないのかなと思います。

かなりの窮地に陥ってもベストのパフォーマンスで望めるように慢心しないようにしたいものですね(あ、単にこういう話を人としたからブログにも書いただけで僕がそういうハードシングス的な状態にあるわけじゃないからねw)。