昨日の『モチベーション向上じゃなく、インスパイヤを目指そうよ』というエントリに対して、smashmediaの河野さんがこんなエントリを書いてくださいました。
インスパイアなんてやろうと思ってできるのか - smashmedia
真実ではあるけど、結果から見た話にすぎないかなと。つまりインスパイアされた人がモチベーション高いのはその通りだけど、じゃあどうやって人をインスパイアするんだろう。(略)そもそも人が人を変えるなんてことはできないわけで、そういう意味では「やる気にさせる(モチベート)」なんてのはおこがましいもいいところで、「きっかけを与える(インスパイア)」くらいが限界なのはその通り。だけどインスパイアってやろうと思ってする(できる)ことなのかというと、ちがうんじゃないかな。ぼく自身、過去にはうまくいったことも、失敗したこともあるけど、数少ないうまくいった体験を振り返れば、ぼくが相手に対して「インスパイアしてやろう」なんてことはまるで考えてなかった。
いやはや、仰る通り・・・。
たしかに「しょせん結果論」なんですが、されど結果論。
結果でしかないから何もしなくていい、なんてことはないですよね。
河野さんも書かれているように、ときにそれが暑苦しいくらい必死に自分語りをする、伝える努力はしますよね。
結果がコントロールできないからと何も考えるのを止めるのではなく、少しでも伝わるであろうと思えることを行うのは、とても大切なことと思います。
ぼくは(お客様でも社員でも)コミュニケーションって「超能力者じゃないから伝わらない」という前提で「伝える努力をする」ものだと思っています。
でも、結果が担保できなくとも、こちらの想いを伝える努力はできるじゃないっすか。
インスパイアとなるかどうかの結果は相手次第だけれど、大切にしてほしいことを必死に伝えることはできる。
だから「目指す」ことはできる(と思ったらから前回のエントリのタイトルはああなのです)
だから「目指す」ことはできる(と思ったらから前回のエントリのタイトルはああなのです)
・・・言葉が違うだけで、河野さんと同じ意見な感じですよね(笑)
河野さんのようにリーダーとしてのすごい経験がある人は、それを意識しなくてもできるかもしれないけど、その直下にいる管理職や中間管理職が、それを意識しているかどうかが、リーダーの考えを組織内で伝播させるか、文化として根付くかを大きくわけると思います。
ぼく自身の経験としてもそうだし、人数が増えれば増えるほど、その傾向にあると思います。
こういったことを意識している社員の比率が低いと、リーダーの言葉に奴属してしまう社員が増えたり、事務的に対応する社員が増えたりする。(そうなることは企業としても社員としてもお互い損なことなのだけれど、自然にそうなったりするものだから、そういう風に働く人が悪いわけではない)
そう考えれば、会社組織というのは好きで集まったわけじゃない人たちの集団であることが多いし、お金も絡むから、つくづく複雑で難しいものだと思うけど、そんな人の集まりであるからこそ、社員同士のコミュニケーションにおいて大切にすることを共有できていなくては、人心は簡単にバラバラになる。
バラバラにならなための努力を僕には「どうしようもないこと」とは思えないし、努力する価値のあるものにしか思えない。一緒に働いてくれる人のためにも。
ま、そういうわけで「インスパイアする」とか「人を変える」なんてのは、見方によっては傲慢な考え方かもしれないけど、これを「大切にしていることを伝えようとする」って言葉に置き換えれば、それこそ空気のように自然なことなんだと思いまふ、はい。
※誰をバスに乗せるか話はまた次回に書きます。
おまけ:
過去にこんなことも書いてます↓
おまけ2:
まるで僕が毎日ブログ書くみたいなことを書かれていますが、そんなこと書いてないですから。罠ですねwww