うちの会社のことで重要なリリースがあったばかりだけど、今日はまだそれは置いておいて個人ブログとしては平常運転させていただきます。
この件は、ちょっと落ち着いてから書こうと思うので少しお待ちいただき、平常通りのフジイユウジ::ドットネット(何)をお楽しみください。
さて。
僕のソーシャルメディアでの投稿を見ている方ならご存知だと思いますが、投稿の結構な割合がニュースや話題のブログ記事のリンクと共に一言感想を書く、みたいなものが多い。
例えばこんな。
リーダーについての話。最高かっこいい。 > 二度目の覚悟。今回の覚悟の方が難しかった。|佐渡島庸平|note(ノート) https://t.co/0YiwNXb85N
— フジイユウジ (@fujii_yuji) 2016年12月14日
もしくは、こんなのとか。
面白かった。けんすうさんは後20年くらいかけてインターネット古事記を編纂して欲しい。あと、けんすうさんポエムが好きすぎると思う。 / “なぜTwitterは日本における最強の投稿サービスなのかを考察してみる/古川健介|PLANE…” https://t.co/hqJV6hYb70
— フジイユウジ (@fujii_yuji) 2016年12月14日
で、僕が以前サラリーマンだった時は非ITな会社だったわけですけども、その時からの繋がってる人に言われたことがあるんですね。
「フジイのFacebookの投稿ってすごくキモいよね。いちいちニュースとか評論してて」
いちいちニュースとか評論していて、すごくキモい。
いちいちニュースとか評論していて、すごくキモい(二回)。
がーん。割とショックを受けました。
更には「普通の人はそんなことしないぞ」と言われ、いかに僕がキモいかを説明されたりしたわけですが。
確かにネット生活どっぷりじゃない人って、あんまりニュースとか話題のネタを共有したり評論しまくったりしてないですよね。言われてみるとキモいかもしれないな………キモいと言われてもやめないけどさ。
僕は寝てる時以外はずっとネットに張り付いてるネット廃人だし、その文化の差みたいなものを異質と捉える人がいても仕方ないなとも思うわけですけども。
しかしながらお恥ずかしながら言われるまで気がつかんかったわ。
この件で僕が興味深く面白いなと思ったのは、僕たちの普通は彼にとって普通じゃなくて「キモい」のレベルにあるってこと。
例えば新海誠の作品全般をキモいと感じても「君の名は。」だけは楽しく観られたとか、そういうことってありますよね(※僕のことではなく、そういう人もいよねって例え話ですからね)。
つまり、そういう「キモさを感じるかどうかの閾値」みたいなものがあるわけじゃないですか。
もちろん人それぞれですけど、キモさって違和感と嫌悪感の中間くらいの感情だと思うんですけど、その人の普通的なるものとの乖離がどれくらい離れていれば発生するのかなあというのが気になります。
嫌悪感とかキモさ、違和感っていうのは原始的な防衛反応だから、異質な者・異物を感知するためにあるわけですよね。
自分の常識からハズれている。つまり自分の文化圏にない行動で、かつ予想すらしていなかった行動あたりが閾値なのかな。いや専門家じゃないし雑な考察だからハズレてるかもしれないけど。
例えば、政治の話を0.01mmも考えない人からしてみると、政治や社会情勢についてあれこれ議論している人はキモさを感じるんだと思います。人によるし、物事によるんだろうけども。ある程度の偏りというか傾向的なものはあるだろうって話として。
なんでこんなことを書くかというと、自分がキモさや嫌悪を感じてしまうときは何故なのか(その違和感に正当性はあるのか)とか、他人に過度で不要な嫌悪感を与えてしまったときに何故なのかを考えたいから。
なんだけども、そもそもこういう考察してること自体をキモいと感じる人は結構いそうだな(笑)。
微妙なオチがついたところで寝ます。会社や事業の話はまた落ち着いた時にでも書きますんでお楽しみに。ではでは。