「君の名は。」や「電車男」なんかを手掛けた映画プロデューサー川村元気さんのインタビュー記事を読んだら、こんな言葉がありました。
「難易度の高い山に挑むときの最強のパーティーは、一人ひとりがソロクライマーとして登れる人間が集まったパーティーだ」
「勝算のない所から始めます」 川村元気のヒットの見つけ方より引用
作家の沢木耕太郎さん言葉だそうです。
これ自体はリンク先の記事の本題というわけではないですしインタビューは面白いのでそれはそれとして読んでいただくとして、今日はこの言葉にひっかけてパーティーを組むことについてブログを書こうかなと思います。
僕もちょうど今STARtedで取り組んでいるプロジェクトがあって、参加してもらっているメンバーは各専門分野のプロ中のプロ。分野は違えどアスリートと言っても良いようなレベルの人たちをそろえて進めています。
RPGで言えば、戦士や魔法使いや僧侶みたいに役割や得意分野は違うんだけど、独りで旅に出られるレベルとスキルを持っている人たち――"一人ひとりがソロクライマーとして「登れる」人間が集まったパーティー"――といえます。
あ、いや、実際のところ、そのプロジェクトで僕だけは「登れる」人間じゃないんだけど、それは後述しますね。
正直、一緒に仕事をしていて気持ちが良いです。プロジェクト自体は超ハードな難題に取り組んでるんだけど、メンバーがすごいから仕事のしやすさはハンパない。
自分の役割で与えられた役割を果たして最高のパフォーマンスを出すことに集中し、自分の領域で他のメンバーが仕事しやすく配慮をすることも「自分の役割」の中に組み込まれている。
いかにも"ソロクライマーとして「登れる」人"たちといえる仕事の仕方だなーと感心するばかりです。
普通なら、自分の役割を果たせるかどうかも分からないし、他のメンバーが仕事しやすく配慮するのは余裕があったらすることで自分の役割ではないという風になるなあと。
そう。
自分の役割を果たせるかどうかも分からないし、他のメンバーが仕事しやすく配慮することも余裕があったらするけれど自分の役割ではないという風になるのって「普通」ですよね。
「難易度の高い山に挑むときの最強のパーティーは、一人ひとりがソロクライマーとして登れる人間が集まったパーティー」だけれど、そんな最強のパーティーを組めないことの方が普通なんですよね。良い悪いではなく、多数であるという意味で。
いま大小を問わずイケてると言われている企業って、人材採用に手間とお金をかけているように僕には見えるんですけど、それって"ソロクライマーとして「登れる」人"の個々の力が欲しいのはもちろん、"ソロクライマーとして「登れる」人"たちとパーティを組むことで得られるストレス低減性とか、働いていて得られる気持ち良さを「難易度の高い山に挑む」ために重要視しているんでしょうね、多分。
イケているパーティを組むことができる企業とそうでないところの力の差は広まっているのかもしれないし、たまたま良い人が来るのを待つことになる採用戦略しか持っていないとキツくなるような気がする。
おっと、採用の話にブレてしまった。
今日はそんな話をしたいんじゃないんだ。ここからが言いたいこと本番。
自分の役割を果たすために周囲からのサポートを欲するし、自分のやりたい範囲でのみ周囲へのサポートを行うから配慮やサポートは自分の役割として組み込まれていない。
更に悪く言ってしまえば、自分の役割を果たすために周囲からのサポートを欲っする"登れない"レベルなのに、自分は"ソロクライマーとして登れる人間"だと自負していたりもすることすらある――
文章にすると悲しい感じになるけれど、そういう"ソロクライマーとしては登れない"たちが集まっているのが普通のパーティーだと思うんですよ。繰り返してしまうけど、良いとか悪いとかじゃなく、それが多数という意味で。
とても残念なことに僕という人間なんて、コードも書けない、デザインもできない、STARtedやってるけど服のこと知らないし、何かの専門家というわけでもなく、ディレクターとしてのきめ細やかさや周囲へ配慮する力も持っていない、専門性は低い上に"ソロクライマーとして登れない"というタイプ。あえて言えば自分が何の専門性も持っていないと自覚しているのがマシな程度で、RPGだったらずっと馬車の中か酒場に置いておかれるやつだ(これまた文章にすると悲しい感じになるな…)。
このブログ記事の前半で書いたようなプロジェクト単位では「最強パーティー」にたまたま紛れ込むことはあるのだけれど、今までの社会人人生で自分が普段所属する企業・チームは全て「普通のバーティー」だった。まあ、それが普通だしね。
思い返してみれば僕は、ここ15年くらい"ソロクライマーとしては登れない"僕らで組んだパーティーで戦い抜く方法ばかり考えていたような気がする。
突然またRPGの話をしてしまうんだけど、僕は低レベルのパーティーでゲームクリアをするのが大好き(現実の自分を投影しているのかなw)。
もう何レベルでクリアしたか忘れたし古いゲームで申し訳ないけど、ファイナルファンタジー8をプレイしたときにはラスボス戦で頭を使って全滅だけは避け続け、回復しながらチクチクチクチクと細かいダメージを与える攻撃をしまくって、なんとその1回の戦闘だけに8時間以上もかけてエンディングにたどり着いた。
普通の敵から攻撃されただけで簡単かつ一撃で死ぬレベルの人材しかいないパーティであったので、ボス戦以外では戦うことをせず逃げ回ってボスまで辿り着いて、時間と頭を使って倒すスタイルでなんとかクリアしたのでした。
あ、さすがに現実はそんなに低レベルなパーティーではないですからね。
僕と仕事してるチームメンバーが低レベルって意味ではないので悪しからず…。
僕が言いたいのは"ソロクライマーとしては登れない"普通のひとである僕らで組んだパーティーでだって戦えるんだってこと。それは決して良いことでも褒められたことでもないんし、レベル99で組んだ「最強パーティー」を組めるように努力できる環境があるならそうした方が良いと思うけれど。
でも、そうでなきゃラスボスと戦い抜けないなんてことはないんだよ。普通に挑んだら勝てないのは当たり前だけど、低レベルのパーティーが工夫で倒せたように知恵を絞れば戦えないわけでもない。それはゲームだけじゃなく現実でもそうなんだと思うよ。たぶんね。
追記: "登れない"僕らで組んだパーティーで戦い抜く具体策は、また落ち着いてから書きたいと思いますので本日はポエム的な何かのみですがご容赦をw