課題の解決方法を見つける前に自分には無理と諦める人が多いから「考えるのを止めない人」が頭が良さそうに見えることが多いって話なんじゃないかなーというお話

仕事をしていて何かの課題にぶつかったときに安易に「自分には無理です」や「経験やスキルがないからできない」という言葉を口にする人をみると、そのたびにモヤモヤしたものを感じるなーと思うフジイです。

自分にはできないとか、「これくらいしか思いつかない」なんて決めつけをするから、できないことが増えるんじゃないかなーと思うことが多いからです。

いや、無理して気合で考えぬくみたいなブラック話をしたいわけではないのですけどね…。

「頭が良い」とついつい思ってしまうような頭の良さに出会うと僕ら一般人は「ひえー、頭いいなー」と恐れ入ってしまうのだけれど(僕も恐れ入る側の人間だからよくわかりますが)、そこから生まれる「自分はそこまで頭が良くない」という自覚から「その課題に対して対策や答えを出すことは(自分は頭がよくないから/経験がないから)できない」という自信のなさに繋がってしまっている人が多いのだなと思います。

その「頭が良い」ってのが本当に頭の良さを指しているかどうかは別として…。

日々、業務で高度な課題を解き続けている人を見ると確かに「頭が良い」と感じるけれど、実は頭が良いから課題を解決しているのか、経験値がないと課題を解決できないかというと、そうでもないことが多い気がするんですよね。 (言うまでもありませんが専門性や高度なIQがないと解決できない問題もあるにはあると思います)

さて。 そもそも「頭が良い」が本当に頭が良いのかは見方や状況によって大きく違うので、難しいのですが、仕事で使う「頭が良い」的な何かの特徴として、ひとつの物事から多数の情報を得たり、ひとつの課題に対して様々なアプローチでの解決方法を検討しているというような気がしています。

ここに「頭が良い」と言われるようなタイプでなくても良い仕事をするヒントがありそうではありませんか。

例えば「売上が○○円でした。良かったです」と言われたときに「○○円だったのか。良かったのか。」とそのまま受け取るのではなく、「前日比・前月比・前年度比などの相対的にどうか」とか「営業利益としてはどうなのか」とか「たまたまスパイクした要素があるのか」や「良かったというのは、何と比較した評価なのか。本当に良かったと言って良いのか」とかとかとか様々な切り口を引き出して情報を別角度から評価したり、因数分解したりしてそこから得られる情報量を最大化しているように見えます。

売上のような結果としての情報に触れたときに限らず、「自社製品の原価くらいの価格で他社が製品を販売している」という情報を見た時に短絡的な人は「ウチには同じ価格にするのは無理。向こうは安い」と見たままに近いことを言うように思います。

「どうして他社は当社製品の原価くらいの価格で販売をするできるのか」については製造ロットが大きいだとか原材料を安く仕入れられるとか、特別な効率化手法をもっているとか、様々な仮説を立てることができます。

それらの中から確度の高そうな仮説から順に調査をして、どうやったら同じかそれ以下の価格にすることができるのか考えることは少なくともできるはずですよね。

もちろん、単に低価格にしないで他社に勝つ方法を考えるとか、ここには書ききれないほどの様々な視点を持つことができるはずです。

僕がここで言いたいのは、「頭が良い」または逆に「自分にはその頭の良さ(や経験)がないからできない」とか言ってる人の違いは、「頭の良さ」というよりもそれらの情報や課題に対して、複雑で多次元的な情報を把握しようとしているかどうかの「姿勢」に違いがあるように思うということです。

もちろん、本当に頭が良い人もいるとは思うけれど、実は「頭が良い」ように見える人の多くは「頭の良さ」で解決してるわけではなく、ひとつの情報や課題を単純化せずに複雑に情報を捉えようとしたり、様々なアプローチでの解決方法を検討しているだけだったりするんじゃないでしょうか。

僕が思うに、僕も含む普通くらいの仕事の範囲なら、特殊な専門知識や経験がないと絶対に解にたどり着けない課題なんて、ほとんどないと思うんです。

複雑に絡んだ紐をゆっくりほどくみたいに考えることを諦めないで、もっと別の視点はないかを探すことを続ければスピードは遅くても誰でもできることなんじゃないかな。

もっともっと端的に言えば、安易に課題を解決できる人が自分にはない頭の良さや経験で解決しているという思い込みを止めれば、少なくとも「頭が良くなくても」解決できるような課題を解決するアプローチは見つかるはず思うんですよ。

もちろん、専門性や高度な頭脳がないと解決できない課題も世の中にはありますが、頭が良くなくても解決できる課題なのに解決できないと思いこんでいる場合も多いように感じます。

「これってどうだったら正解だったんですか」なんて上司に聞いちゃういう人っていると思うけど、そのほとんどが 「正答」があって「優秀な人は正答を知ってる」と思っているんじゃないかな…。
構造を分解・理解しようと粘り強く取り組んでないのに「答えを聞いたら自分もできる」とか単純化して捉えていたら、そりゃ同じことできるわけないんですよね…。

安易に誰でも考えつくアプローチをパッと考えて「それしかない」と思いこんでしまったり、他人は正答を知っていると思いこんでいたり、あるいは「私には難しい・できない」って言ってしまいそうなときこそ、その安易さが良質な解から自分を遠避けていると気づいてしっかり考えを深めることに踏みとどまらんといかんと思うのですよ。

課題の解決方法を見つける前に自分には無理と諦める人が多いから「考えるのを止めない人」が頭が良さそうに見えることが多いって話なんじゃないかなー つまり、その課題に良質な解を出すことは僕もあなたもきっとできるんだよ!というお話でした。