ギフトは「相手が何が欲しいか」より「何をしたら喜んでくれるか」で考えると良いのでは、という話。

お歳暮とかクリスマスとか贈り物シーズン。もらって嬉しくなり、贈って相手が喜んでくれると嬉しい。どちら側でも嬉しいものですよね。

ぼくは欲しいものってそんなに思いつかないタイプなのですが、あえて言えば、大きい作業用に適切なサイズのモニターか普通よりも低くできる昇降デスクがあれば欲しいかなあと思います。

でも、親しい人から贈られるなら、モニターや昇降デスクより、その人が選んだと分かるようなお菓子を贈ってもらう方が嬉しいんですよね。モニターやデスクを贈っていただいたら嬉しくはあるけれど、選んでくれた人らしさの出るお菓子の方が嬉し度が高いという話で。もちろんこれは一般論ではなく、ぼくの場合は…ですので悪しからず。

受け取る側が自分で買うイメージの強い「自分で買いたい欲しいもの」と「贈って貰って嬉しいもの」って、物や相手との関係性によっては、このふたつが一緒のこともありますが、大抵は違うものだと思うのですよね。

また、贈る側からしても「相手が欲しいであろうと思うもの」を贈る方が良いように見えますが、モニターや昇降デスクのように明確に欲しいものでもプレゼントとしての喜びはそこまでではない場合もあるわけですよね。

プレゼント受け取る側は「欲しいもの」は言えたとしても、何を貰ったら「自分のことを考えて選んでくれたことで心の底から嬉しい体験になるか」までは答えられる人は少ないはずです。(表面的なことは言えたとしても)自分自身に起きていないことを予測して説明できる人は少ないからですね。

「選んでくれた人が、受け取る自分のことを考えて選んでくれたことが凄く嬉しい」という体験になれば、その物品の価値を何倍・何十倍にも価値拡張します。ぼくの例でいえばモニターや昇降デスクではその価値拡張を生み出しにくく、お菓子を選んで贈った方が「自分のことを考えて選んでくれたことが嬉しい」に近いわけです。(もちろん関係性贈られる側の性格などにもよるのは言うまでもありません。

そのためには贈る側が「相手が何が欲しいか」というモノ基準で選ぶのを止めて「何をしたら喜んでくれるか」という体験基準で選ぶことがその第一歩と言えるかと思います。

あくまでも「何をしたら喜んでくれるか」という姿勢を持ってを深く洞察することが重要で、相手が欲しくもない迷惑だとすら感じるものを贈ってしまうこととは真逆ではあります。ただ、相手がほしいモノを考察するのとは違うなあとも思います。

 

と、一緒に働いているチームメンバーに贈るものを何にするか考えていたら、ついこんなことを考えてしまった仕事脳のフジイなのでした。何を贈るか気楽に選んでサッと渡して喜んでもらえるようになりたいですねw

雑な記事ですが、今日はこれくらいで。