たとえば、会議中とかSlackのやりとりで出た、こんなひとこと。
「これをする“目的”と“KPI”は?」
さっきまですぐにアクションに移すべきことを話していたはずが、「目的とKPI」が決まるまで実行することはできなくなり、「なぜやるのか、どう計測するのか」を決めるための会話に時間がとられ、すべてが停滞している。
翌週、やっと目的の話がまとまってきたと思ったら「その目的であれば別の方法が良いのではないか」という話になり、なんのアクションを実行することもできないまま1、2ヶ月が過ぎ、そのうち「検討します」のまま塩漬けになって、その施策の話がされなくなる。
そういうの見たことありませんか?
ぼくは3,600億回あります。
もちろん、KPIや目的を決めるのは良いこと。
KPIや目的を決めること自体は悪くない。
というか、良いことだ。
数字や言語された目的があれば、目的に向かってブレずに動きやすいし、やるべきことにリソースを集中させられる。
しかし、大きな目的やKPIが早すぎる段階で語られることで、理解を深めることや観察のためのアクションが阻害され、結果的には単に動きが悪くなってしまうという場合もあるという話をしたいと思います。
「未知や不確実性への恐れ」が過剰管理を生む。
たとえば、まだAIを活用した開発をしてない開発チームが、やっとCursorなりClaude Code(←どっちもAIツールです)をエンジニアに使ってもらおうって話になってきたのに
「目的はなんですか?ツールを使うことは目的ではないですよね。開発生産性を上げることですよね。開発生産性はどのように計測して、ROIは……」
って言い出す人がいたら、口にiPhone Pro Maxを突っ込んで「少しお黙りなってくださるかしら?」って笑顔で言ってしまいますわよね(言いません)。
KPIや目的を設定するなって言ってるんじゃないの。
早いんすよ、KPIやら目的を設定するのが。
「施策ごとにKPIとか目的が設定されるべき」って言葉は一見正しいように見えるんですけど、「まず触れてみて、感触を掴む」って目的で十分なときには過剰管理なんですよ
目的やKPIを設定したくなる気持ちはわかる、わかりますよ。
でも、それは本当に適切な管理でしょうか。
未知や不確実性への恐れが「ちゃんとした目的やKPIがあるべき」という過剰管理を生んでることもあるんじゃないですか?
それによって、「触ってみる・やってみる」によって学んだり観察したりする探索的アクションすら禁止したりしていませんか?
目的とKPI設定するの「早すぎる」んだよ。
もちろん、ぼくが言いたいのは「KPIや目的を設定するな」ということではないので、もしここまで読んで勘違いをしてる人がいたら「違います」と言っておきたい。
やってみて経験する・理解を深めるということが事業的に意味のある状況ならば、それは十分に「状態目標」や「経験すること自体が事業成長という目的に向かっている行為」として機能するんだから、過剰管理はしなくていいよって話をしたいだけなんですよ。
目標達成したかどうかが感覚的にしかわからないとダメな理由ってないですよね?
事業的に意味のあるアクションが「厳密に測定可能ではない」ってだけで阻害される方が、よっぽど損失だと思いませんか。
たとえば、コンテンツマーケティングとして自社の情報を発信するときに「まずは書いてみて、どのくらい大変か」とか「自分たちは、どんな品質の記事が書けるか」を体験してみないと本当にやるべきこと・目指すべきことはわからないはずだ。
でも、それやる前から「毎月のPVはどのくらいを目指していますか」とか言われたら、もうダメになっちゃうんですよ。
試行錯誤した経験もないから誤ったKPIを設定してしまうし、探索的に動くだけでも良いのにKPIや大きな目的に縛られて「うまくいかないので止めます」を繰り返すのを見たことありませんか?
ぼくは3万回くらいあります。
たとえば、AIを使った開発はどういうことが起きて、なにがこれまでと違うのかを知らん人が「どのくらい効率良く開発できるようになるのか出せないなら、AIを使うべきではない」って言い出したら終わりなんですよね。
そんなふうに小さなアクションができなくなって「うまくいかない」を繰り返しているのを見たことはありませんか?
あります。ぼくは10000億回あります。
それは、目的とかKPIを設定するのが早すぎるんすよ。
勝ち方(うまくいく方法)もわかっていない段階から「勝ちに行く手」を決めようとしたり、勝ち筋かどうかを測定してもダメなんすよ。
もちろん、「ずっとワチャワチャしてる」もアホの極みだぞ
一方で、もう観察と理解は十分だろってところまで進んでいるのに、いつまでも“とりあえず色々やってみましょう”を続けているのを見かけることもある。
それはそれで、アホの極みなのは言うまでもない。
目的を目指すのためのKPIを決めて、そこにリソースをつぎ込めば良いのに、いつまでも「色々試してます」で留まってしまうのは良くない。
当たり前なんだけど。
というわけで、“手触り感がないことにKPIを決める”のもアホだし、“もう仮説を立てられるのにいつまでもなんとなくやってみる”のもアホの極みで、それぞれのフェーズがあるんだよねって話をしたいだけなのです。
「これをする“目的”と“KPI”は?」
これを言われたときに、まだ試行錯誤や探索的アクションが必要なのであれば、
「まずは、短期間だけでも"経験して学習するための探索的アクション"を積ませてください。定量目標がなくても、アクションに対して学んだことを振り返りする方が、良かったかどうかや今後どうすべきかがハッキリしますから」
って言えるといいんじゃないかな。
(どうしてもって言うなら、仮当てのKPIくらいはあっても良いけどね)
定量目標や本質的な目標の前に、肌感を掴むというのは感覚的な話になってしまう。
だから怖がる人がいるのもわかる。
でも、勇気をもって感覚を掴む方がうまくいく(という状況もある)ってぼくは思うんだよね。