自分の専門外のことでも「手触り感」くらいは持っていたい

例えば、

「これからは誰でもAIにプログラムを書かせることができる時代」

と言われたら、どう感じるでしょうか。
ぼくなら、かなり身構えてしまうというか、どのくらい分かって言ってるのか心配になってしまう。

日頃AIを使ってコードを書いているプロのエンジニアが言ってるなら、身構えることはなく素直に聞くことができます。専門的な知識がない人でも、書こうと思えば(そして学べば)プログラムを書くことができるという意味で言ってるなと理解できるので。

ただ、ChatGPTとチャットで少し話したくらいの人が「これからは誰でも簡単にプログラムを組めちゃうからね〜」とか言いだしていると、不安になるのです。

それが本当にできるようになるか、できるとしてもどんな人がどのくらいの知識や労力でできるものなのか、わかって言っているのか心配になるんですね。たぶん、わかってないし。

その「わかってなさ」で組織の判断や事業判断するのは、厳しいなあと。

 

僕はエンジニアではない(元エンジニアですらない)ので、自分で触れるものには触るようにしている。Claude CodeやCursor、Codexなどをせめて「触ったことはある」ようにする。自分で触るには難しいレベルのものは、概要だけでも調べた上で詳しい人に話を聞いておくようにする。

そういう「手触り感」がないと、トンチンカンなことを言ってしまうようになるし、メディアやSNSに書かれていることをそのまま鵜呑みにするようになってしまう。
(触っていてもズレたことを言ってしまうことはあるけど、手触り感があるのとないのでは、雲泥の差があると思う)

 

実際のところは知らないし、今でもそうなのかは分からないのだけど、トヨタ経営陣やリーダーが現場のことを深く知っていると聞く。
現場のことを深く知って「手触り感」がある人が大きな判断をするからトヨタの経営は強いんじゃないかなあ。
(実際を知らないので、感覚でしかないけどね)

 

「手触り感」がないと、他の人のプロフェッショナル性の高い仕事を見ても「何をしてるのか分からないので、ちゃんとしてくれてるんだろうな…」といった素人の感想しか出てこなくなる。場合によってはリスペクトがなくなって「専門的な知識がありすぎて、余計なことをしてる」とか言うようになってしまうかもしれない。

もちろん、「手触り感」がある程度で良い判断ができるようなるとまでは思わないけれど、やっぱり「手触り感」すらない人が大きな判断するのって危ないですよね。
だから、多くのことに触れたり、学んだりすることは大事だよねと思う。

 

そんなわけで、自分が専門ではない領域でも相手を理解するための「手触り感」くらいは持っていないなって思ったのでした。

今日はそれだけ。またね。