「カリスマ的リーダー」と「和気藹々としたチーム」という幻想。

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とあるリーダー向けの研修を受けた時のこと。

その研修自体は非常にためになる内容だったのですが、参加者の何人かが「リーダーに必要なものはカリスマ性」というような発言をしていた。

そりゃあ、カリスマ性なんて、あるに越したことはないけれど、それがないとリーダーがやれないなんて幻想なんだけどなあ。

少なくとも仕事の上では、必要ない。
上司と部下なんて、別に上司が人間的に偉いわけじゃなくて、お互い役割を受け持っているだけなんだから、それを理解して、ちゃんと役割を果せば特別なカリスマじゃなくても、ちゃんとリーダーになるんだけどなあ。

それを勘違いして、カリスマ的リーダーになりたいという欲求を抱えてリーダー業をやっちゃうとね、もう大変なんだよね。
どうしてもチームのメンバーからの人望が欲しければ、格好つけるのを止めて、メンバーと目標を共有して誠実な仕事をしていくしかないんだけど、自分の人望の無さにイライラしてダークサイドに落ちてる人は、それに気づかないんだよねぇ。。。

そんなに立派な人じゃなくても、落ち着いてこなせばリーダー業はやれるんだけどね。

あと、勘違いしやすいのは、「和気藹々としたチーム」が良いチームだと思っちゃうこと。
チームの問題を「飲ミ二ケーション」で解決しようとするタイプの人に多い勘違いwww

本当に良いチームは、やるべき業務や達成すべき目標を共有できているチーム。
仲良しチームって、決して良いチーム・勝てるチームじゃないんだよねぇ。

多分、この手の勘違いをしちゃうリーダーが目指しているチームって、「ツーと言えばカー」的な、「目と目で通じ合う」的なアレなんだけれども、そんなこと友達なれそうな人だけでメンバーをそろえた時しかできるわけないじゃん。

そんなアホなこと言っているヒマがあったら、やるべき業務や達成すべき目標を共有できているチームを作ればいいんだよ。友達にはなれないかもしれないけれど、「こいつの仕事は信頼できる」っていうような感じで、友人とは違う形での信頼関係を築けるんだけどなあ。

普段から中間管理職の人に言っていることなんだけども、自分へのリマインドを兼ねて書いてみましたです。はい。
なんか最近、組織についてばっかり書いてるから、そろそろ方向転換したいなあ。

「カリスマ的リーダー」と「和気藹々としたチーム」という幻想。” に対して 4 件のコメントがあります

  1. かたやま より:

    中間管理職にカリスマは必要ないけど、社長というリーダーには必要かも。

  2. Fujii-Yuji より:

    かたやまさん、コメントありがとうございます。
    社長にだけは必要と思うのは何故ですかね?
    僕は、カリスマ性って、あるに越したことはないですけど、絶対に必要なものではないと思ってます。
    それは社長でも管理職でも中間管理職でも。

  3. かたやま より:

    「カリスマ」の定義にもよるとは思うのですが、3つぐらいの必要性はあるのかなと思ってます。
    1.役割分担がきちんと定義できていてみんながそれを正しく認識できているか?
    2.理屈と感情のギャップを埋められるか?
    3.2階層以上差がある人がそのリーダーを信頼できるか?
    1の問題はどちらかというとリーダーが整備する問題なのでカリスマが必要かという話とは若干違うかもしれませんが、役割分担は時間とともに変化するので常にギャップがある。そういうギャップを超える為にはこのリーダーについていけるか?という気持ちがある程度必要になる場面がある。
    2も1と似ていますが、理屈ではわかるけど現場感からいうと無理、みたいな場合にリーダーが今踏ん張るしかないとってそう思えるか。こういう場合は良くある。。
    3は普段仕事を一緒にしていない人からも信頼をされていないと色々うまく回らない事って多々あるとおもいますが、階層が離れてても信頼できるってカリスマかなと。
    フジイさんが言うところの役割のなかに僕のおもうカリスマが内包されているのだとはおもいます。ただ組織ってバンドとか飲み会サークルとかのレベルでさえ、1人強い意思(志し)を持った中心人物が居ないと大抵長続きしないもので、その志しを人はカリスマと呼ぶのかなとおもいます。

  4. Fujii-Yuji より:

    かたやまさん、レスありがとうございます。
    うーん、そうですねぇ、なんかカリスマって言葉の定義が違うだけのような感じもしますね。
    すでにご理解いただいていると思いますが、このエントリでの「カリスマじゃなくてもリーダーはできる」の中の”カリスマ”は、対人技術を含まない「人間的魅力」という部分にフォーカスした意味です。
    このエントリで書きたかったのは「少々無茶なことを言っても皆がついてくるような人間的な魅力溢れる人こそリーダー」という思い込みが、しばしば新任リーダーや中間管理職に見られるけれども、それは間違いだよってことです。
    かたやまさんの言う(1)や(2)は、エントリ本文にあるように「格好つけるのを止めて、メンバーと目標を共有して誠実な仕事をしていく」ことができれば、問題は起きないと思います。
    「無茶も聞いてもらえる」カリスマなら、そんな地味なことせんでも良いんでしょうけど「無茶は聞いてもらえない」ような人間的魅力が普通レベルの人でも、誠実な仕事をして、誠実にチームを運営することによって、ちゃんとリーダー職をこなせるんですよね。
    「無茶も聞いてもらえる魅力をもったカリスマ」でなくても、普通の人でも社長職はこなせると思います。誠実に、丁寧に、仕事をこなす必要はあるでしょうけれども(簡単にことではないですね)
    (3)についても同様です。
    また整理してエントリ書きたいのですが、僕は経験則として、組織の仕組みやコミュニケーションの取り方に工夫をすることによって、カリスマでなくてもリーダー職・社長職がこなせることを知っています。
    強烈な魅力をもったカリスマなら、そんな仕組みも何もなくても階層など関係なく魅力が届くので良いのでしょうが、そんな魅力のない普通の人には工夫が必要です。
    でも、やっぱり魅力がなくとも「知恵と工夫」があれば(カリスマと同じことはできなくとも)ボチボチ対応できるものだと思いますけどね。
    >> 組織ってバンドとか飲み会サークルとかのレベルでさえ、
    >> 1人強い意思(志し)を持った中心人物が居ないと大抵長
    >> 続きしないもので、その志しを人はカリスマと呼ぶのか
    >>なとおもいます。
    組織の運営と継続については、本当におっしゃる通りだと思います。
    ただ、「志しを持って知恵を工夫を使えば普通の人でもカリスマになれる」ってことなんだと思うんですけど、それを”カリスマ”と呼んじゃうと、普通の人には敷居が高く感じられちゃうんじゃないですかね。
    だから、僕は「カリスマでなくても志しを持って知恵と工夫をすればリーダーになれる」と言いたいのです。
    このエントリで書いた”カリスマ”の定義は「無茶も言っても聞いてもらえるレベルで魅力をもったカリスマ」でしたので、かたやまさんの考える”カリスマ”とは少し違ったみたいですね。

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