褒められて「あわわわ、わたくしめはそのような価値ある人間ではないのです。おやめください…おやめくだ…」ってなっても口にしない方がいいよ。

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人に褒められたらネガティブな反応を返す人っていますよね。

A 「すごいね」

B 「自分なんかクソですよ、あはは。」

A 「そんなことないよ」

B 「いやいや、いかに自分がクソかっていうとですね……くどくど…」

なんだコイツめんどくせえ。

……まあ、これ以前の僕のことなんだけどな!(笑)

適度な謙遜とか、できないことを押し付けられないために期待値を下げてるとかならいいんだけど、こういうやりとりって大抵は「卑屈な心情の吐露」でしかないんですよね。卑屈ダメゼッタイ。

今日は、こういう卑屈さを口にするのは勇気を出して踏みとどまった方がいいって話を書きます。

自分なんてダメな奴でうんこ以下なんだと思うのは仕方ないけど、応援してくれたり評価してくれる人に向かって「自分なんかクソですよ、あはは」みたいなこと言ってしまうのだけは止めた方がいいと思うんだよね。そこだけは我慢した方がいい。

自分のことをいかにクソだと思っていても、自分を評価してくれた人に対して自己肯定感の低さを披露するという心の泥沼に相手を引きずり込むようなことをする必要はないんだよね。
まあ、これって自己肯定感の低い自分を承認してほしいという防衛的な反応なんでしょうけど。卑屈すぎるw

卑屈な謙遜をしてしまうのは、人に褒められても「あわわわわ、褒めないで……わたくしめはそのような価値のある人間ではないのです。おやめください!」というような気持ちになってしまって、とっさに冒頭のようなやりとりをしてしまう。

そして、そういうこと口にしているときって美徳的な謙遜と区別がついていなくてダメなことだとは思っていないんじゃないでしょうか。

まあ、いかに自分がクソでも褒めてくれた人まで卑屈沼に引きずり込むことはないわな。
冒頭やりとりを見返してみるとわかると思うんだけど、褒めてくれる人にもなぜか「自分がクソである」ってことを肯定してもらおうと説明まではじめちゃう。いらないだろ、それ。

謙遜と自己肯定感の低さを披露することは違う。
自己肯定感の低さを披露している本人は「本当に自分はクソだし、本当のことを言って何が悪い」みたいになっているんだろうけど、「本当のこと」を言ってるわけではなくて自己肯定感の低さからくる卑屈な心情の吐露でしかない。

他者が褒めてくれたり評価してくれた・すごいと思ってくれた「事実」を受け止められない、「本当のこと」を受け止められていないのはどちらなのでしょうか。

繰り返しになってしまいますが、自己肯定感の低さを止めるのは難しいのであえてそこは自由にすればいいと思います。(止められるなら止めた方がいいけどさ)

自分なんてダメな奴でうんこ以下なんだと思うのは仕方ないし、自由だし、僕も(今でも)年中そう思ってるけど、応援してくれたり評価してくれる人に向かって「自分なんかクソですよ、あはは」みたいなこと言って「自己肯定感の低さを肯定してもらいたい」なんていう卑屈な自己肯定の泥沼に相手を引きずりこむのだけは我慢して踏ん張らないといけないんじゃないかな。

そんな自分を褒めたり評価してくれた人に対して「ありがとう」って言うくらいでいいんだよね。
ずっと評価され続けるような自分で居続けないといけないわけじゃなくて。

僕も毎回「あわわわわ、褒めないで……わたくしめはそのような価値のある人間ではないのです。おやめください!おやめください!!!」って心の中で叫んでいるけど、このクソのような卑屈さに相手を引きずりこむような失礼なことをしないように勇気を振り絞って「ありがとうございます」って言ってますです。

冒頭のめんどくさい奴は、少し前の僕のことなんだけど今は頑張って勇気を振り絞らないと褒めてくれた人を卑屈沼に引きずり込んでしまう…それだけは避けねば…うううう…と勇気を振り絞って「ありがとうございます」って言ってます。書いてみたら十分めんどくさい奴だな、僕は(笑)

さて、今日もまだ仕事です。勇気を振り絞って踏ん張ろうw

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