「拙速は巧遅に勝る」――孫子はそんなこと書いてない――

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「拙速は巧遅に勝る」とか「巧遅は拙速に如かず」という言葉がありますな。
やたらこれ言う人いますよね。まあ、僕にもそういう時期がありましたよ(謎の上から目線)。

たまにインターネットにも『中国の兵法書「孫子」に「拙速は巧遅に勝る」という格言がある』とか言い切ったビジネス系のテキストが置いてあったりしますけど諺として使うならまだしも孫子を「考えるより先に動け」みたいな意味で使うのは誤用ですよ。

そもそも、孫子には「如かず」とか「勝る」とか書かれていないです(あ、下の引用は読み飛ばしてもOKですよ)。

孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、馳車 千駟、革車 千乗、帯甲 十万、千里にして糧をおくるときは、すなわち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費して、しかるのちに十万の師挙がる。

その戦いを用なうや久しければすなわち兵を鈍らせ鋭を挫く。城を攻むればすなわち力屈き、久しく師を暴さらさばすなわち国用足たらず。それ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くすときは、すなわち諸侯その弊に乗じて起こる。
智者ありといえども、そのあとを善くすることあたわず。

ゆえに兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり。
それ兵久しくして国の利する者は、いまだこれあらざるなり。ゆえにことごとく用兵の害を知らざる者は、すなわちことごとく用兵の利をも知ることあたわざるなり。

web漢文大系より引用

うむ、現代語になってないとわからん(笑)

これを現代語訳すると、

軍隊の遠征は、様々な兵器や兵士を編成し、資材を調達し、外交使節をねぎらう費用など多額の金銭を使い、一日に千金を費やして念入りに準備をしてようやく十万の軍隊を動すことができる。

遠征で自軍を疲弊させては兵の士気と多額の資金を失うので、長期にわたる持久戦をすることになれば国家経済は窮乏する。そうなったら中立だった諸侯も、その疲弊につけ込んで攻めてくることがある。
いったんこうした窮地に立ってしまえば、いかに知謀の人でも、善後策を立てることはできない。

だから戦では拙くても速やかに進めたという話はあっても、巧に戦を長引かせる事はない。

そもそも戦が長期化して国の利益になったためしはない。
用兵の悪手を知らない者には、用兵における利を知ることもない。

って感じになるのであって、何度どの角度から読んでもスピードこそジャスティスみたいな話じゃなくて、「遠征しての戦争は長引かせると兵站も保たないし、国の経済が破綻するぞ」って話でしかないのですね。

冒頭でも書きましたが、ビジネス系の人が『中国の兵法書「孫子」に「拙速は巧遅に勝る」という格言がある』とか言い切って「雑でもいいからどんどん行動しろ」みたいな意味で言ってることありますけど、孫武はそんなこと言わない。

戦術ではなく兵站や国家経済という戦略的・計画的な視点を持ちなさいという話であって、むしろ「雑でもいいからどんどんやれ」とは逆ですよ逆。

「戦が長期化して国の利益になったためしはない」ということが主であって、「兵は拙速なるを聞くも…」だけ切り取ったらアカンやつ。そもそも「巧遅」とか書かれてねーし。

調べたら「巧遅は拙速に如かず」というのは中国南宋の謝枋得が書いた「文章軌範」が元ネタで「孫子」じゃないんだよね。戦術・戦略の話ですらないみたい。

科挙というエリート公務員試験の詩文の試験について「簡潔な文」を推奨するために「試験時間は限りがあるから巧遅なる者は拙速に如かず」という風に書いています。

つまり「試験時間は限られてるし、いけてる文は簡潔なものが多いし、巧遅になるくらいなら拙速のがいいぞ」っていう話なんだけど、いつの間にか「仕事や事業でも拙速を尊ぶべき」に変わっちゃったみたい。うーむ…

これって日本だとトヨタの「カイゼンは巧遅より拙速」あたりから広まったのかな?
トヨタなんかまさに兵站を重視した用兵で大きくなったわけで「用兵の害も利も知る者」といえますよね。単にスピードだけ求めてきたわけじゃないし、ここを切り取って使うべきではないですよね。

孫子は戦術レベルの視点ではなく国家の経済まで考えて「計画的に用兵しなさい」って書いているわけで、トヨタもそうしてきたという話かと。「雑でいいからガンガンいけ」みたいな意味とはむしろ真逆の話をしているんだよね(二度目)。

元ネタの孫子を読み直せば、スピードで圧倒できない状況なら勝機が来るまで待つことだってアリなんじゃないですかね。
「戦は兵力よりも勝機だよシンイチ」ってミギーも言ってたし。

拙速こそ素晴らしいみたいに切り取って戦術レベルだけで戦を行うことこそ「ことごとく用兵の害を知らざる者」なんじゃないですかね。そんなこと言ってたら孫武も怒るでしかし。

「拙速は巧遅に勝る」――孫子はそんなこと書いてない――” に対して 7 件のコメントがあります

  1. 吾一 より:

    興味深い知識をどうも。妥協が嫌いな職人気質にとっては忌々しい言葉でした。
    – 食べるぶんの魚が釣れたらとっとと帰るのが釣上手
    – 残業は疲れるし労働価値を下げるのでよくない
    – 欲をかくのも程々にしなくてはならない‥‥!
    ということかもしれませんね。経営陣の脳では都合のいいように改変されてしまうわけです。

  2. けい より:

    すなわち「孫子が書いた」というネット記載が間違っているだけで、そもそも
    中国南宋の謝枋得が書いた「文章軌範」
    には普通に書かれているということですよね。

    このタイトルの「孫子はそんなこと書いてない」では、いかにも拙速の記載そのものがマユツバみたいに取れてしまうので、そのあたり改善されてもいいのかな、と思いました。

  3. ゴリラ より:

    実際、誰がかが書いた本で信憑性も現代のインターネット並だから孫子が言ったか言ってないかはわからないからその辺は水掛け論だね。ホントは言ったかもだけど聞き逃しちゃったとかのもあるかもだしな。ま、本当の事は誰にもわからないんだよね。で、何が言いたいかって言うのはもうわかってると思うけど、孫子が言ってないなんて誰一人言いきれる人はいないだろってこと。どうでもいいかも知れないけど俺そうゆう適当なこと抜かすやつ嫌いだから。過去の文献が100%当時を表す事ができるわけでもないのになんでそんなに信じられるんだって思う。信じるのはいいけど、他人にまで印象をおしつけることはどうも。否定するなら孫子に直で聞いてきてください、それからネットに書くんだな。長文失礼

  4. りょう より:

    フジイユウジさんの文章を始めて読ませていただきました。
    ありがとうございました。
    私も「雑でもいいからすぐやることがええんやで」だと思っていました。
    「すぐやる」ことはとても良いことですが、「拙速は巧遅に勝る」という言葉の場合は
    拙くてもいいとかそんな話ではないんですね。勉強になりました。

    文章の書かれ方がとても面白かったです。
    何度か笑ってしまいました。最後までスラスラと楽しく読むことができました。
    他の文章も読ませていただこうと思います。
    ありがとうございました。

  5. たかあきら より:

    「巧遅は拙速に如かず」。これは単に、「100点満点を狙って結局時間切れになるくらいなら、わかるところから手を付けていった方が結局高得点を取れる」という、試験テクニックの話なんですよね。兵法とは全く無関係。
    だけど、それを無理矢理兵法の格言と考えるのなら、「難攻不落の要塞攻略に時間をかけるくらいなら、攻め易い町村や集積地を先に攻略して外交のテーブルに着かせる方が良い」っていう解釈になります。

    まとめるのなら。
    「巧遅は拙速に如かず」は、攻略目標の優先順位の設定。
    「兵は拙速を聞く」(孫子の兵法・第二章作戦篇)は短期決戦の利。
    ついでに、「兵は神速を尊ぶ」(三国志・魏書・・郭嘉伝)が行軍速度の利。

    混同する人が多過ぎて、困ってしまいますね。

  6. ただの通行人 より:

    初めまして。
    この文言の解釈としては、分類してみた方が良いと思います。
    戦争に限らずビジネスに於いても、戦略と戦術は必要です。
    そしてその戦略と戦術の違いを理解した上で見れば、
    戦略と戦術の担当者が同じ人物ではない事は容易に理解できると思います。
    物事を判断するには十分な知識と経験を持つ人が上に立ち、戦略という選択を行います。
    その戦略に基づき、同じく十分な知識と経験を持つ戦術能力の高い人が結果を出す事になります。

    この文言を戦略と戦術と分類した場合に限った事ではありませんが
    戦略とは、過去の経験則から発生した事例を史学として捉え、現在与えられている環境と照らし合わせ
    何が最善であるかを導き出すのが戦略であり
    その事例は戦術という経験則によって生み出されます。

    つまり「拙速は巧遅に勝る」は経験しなければ知識は養われない事を意味し
    戦略を立てる事が出来なくなる。という結論に至ると思います。
    トヨタの事例を出されていますが、
    おそらく時代背景として見ると、戦後の混乱期から高度経済成長期までの間に
    世界の産業界での競争原理に勝つためには、経験が何より優先される時代と判断された為
    更に、難しい言葉を用いる事に拠る畏敬の念を持たせ統率力と求心力、
    結束力を高めるために引用されたのでは、という可能性を感じる事が出来ます。

    もちろん、孫子が同様の意図で用いた言葉ではないにしても、
    引用の仕方次第では言葉の力は様々な結果を齎す事が可能だという一種の知恵だと判断する事も可能だと思います。

  7. りん より:

    タイミングを逸してしまった巧遅は機を見るに敏な拙速には遠く及ばないと考えます。
    拙速よりも巧遅の方が優れている場面も無くは無いですので絶対指標には成り得ないでしょうが、基本的には「巧遅は拙速に如かず」のスタンスで物事を進めていけば時期を誤ることが少なくなると考えています。

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