「会議の責任」と「本音度合い」は比例すべき



ぼくは、コミュニケーションをとらない上辺だけの会議が大嫌い。
この世に蔓延する無意味会議はブチ壊してコミュニケーションとコントロールを取り戻すべきだと思ってるんだよね。


本のまんまはやらないけど「すごい会議」が僕の考えに近いかなあ。


この本みたいな会議をやれるかどうかは会社によるだろうし、中途半端にやろうとする人がいると危険な気がする内容だけど、読みやすい本なので、軽く読める読み物としても面白いですね。


話を戻すと、ぼくは会議で決まることの責任の重さと会議内の本音が出る度合いは比例して高まらなくはならないと考えていて、参加者が本音でコミュニケーションをとるための努力と勇気を引き出すために、会議には色々と仕掛けが必要だなあって思っています。

 場所・召集方法・会議室の小物・進行方法・配布ドキュメント・・・

自分なりに色々な仕掛けをしていたり考えていたりするけど、こういう仕掛けが上手くいったことあるよっていうのがあれば教えてくださいな。


「本音でコミュニケーションをとるための努力と勇気を引き出す」ことをして、色々な重要事項の決定をする。
これって、別に特別なことじゃなく、本来あるべき、ごく普通のことだよね。