判断すべき情報やスキルを持っているはずの人が、情報やスキルを持っていない上司に決めてもらっているのをよく見かける

チームで仕事するってとても良いですよね。
色々なタイプの人たちが色々なスキルをもって集まることで個々人ではできない成果を出せる集まりになっていくのでぼくはともかくチームで仕事をすることが好きです。

ただ、人が集まると色々なことが単純ではなくなってしまう場合もあり、今日はそんな「ニンゲンはむつかしむつかしだね」という話を書きます。

 

人が増えることでチームや事業に致命的状況が発生するのはどんな時か

人が集まると色々なタイプと一緒に仕事をすることになります。

「前提条件や達成すべきKPIや期日は決まっているが、その範囲ならば方法は問わない」という裁量のある仕事でないと力が発揮できない人もいれば、逆に判断する幅のある仕事が苦手で具体的に決まった業務をバリバリやるのが得意な人がいたりします。

当たり前ですけど定型業務が得意なタイプに「やり方や作業内容を伝えず、方向性や達成してほしいKPIや期日だけを渡す」というようなことをするとと「目標だけぶん投げてきて、何したらいいのかまったく分からん…」と混乱してしまいますし、逆のタイプに具体的なことだけ渡すもしかりです。

 

とはいえ、チームメンバー個々人のお困りが発生する程度のことであれば事業やチームにとって致命的とまではなりません(良いことではないけれど)。

では、どんな風になると人が増えることでチームや事業に致命的状況が発生するのかを考えてみます。

 

判断すべき情報やスキルを持っているはずの人が、情報やスキルを持っていない上司に決めてもらっている場面、見たことありませんか

人が増えることでチームや事業に致命的状況が発生するのにありがちなのは「自分が判断した方が質の高い判断になるときでも判断を他人に委ねようする」という行為が重要な判断でも行われるようになった状況ではないか、とぼくは思っています。

「(上司)さんはAとBどちらにしたいですか」とか「◯◯してもいいでしょうか?」と判断すべき情報やスキルを持っているはずの人が、情報やスキルを持っていない上司に決めてもらっている場面って見たことありませんか?

プロジェクトの全体も具体的なところも把握していて、かつ色々な判断をして良い権限も持ってはずの人が「(上司)さんはどうしたいでしょうか?」と聞いているシーン。

運用型広告の担当とかソフトウェアエンジニアであるとか、(事業に対しての責任はそこまで負っていなくても)担当している業務の個々の局面でベストな判断をできる専門性を持っている人が、なぜか専門性のない上司に「(上司)さんはAとBどちらにしたいですか」と質問するシーン。

見たことありませんか? 僕は両方のシーンを5000万兆回くらい見たことあります。

 

安心しろ、ほんの致命傷だ。

この決めるべき力のある人が決めないことで事業や組織の致命傷になりかねないのに放置されがちです。

なぜかこれがヤバいかというと、「(上司)さんはAとBどちらにしたいですか」と聞かれた上司本人はベストと思う判断を伝えているし、一番わかってる人も決められたことをやれば仕事としてOKになるので誰も困っていないのです

事業にとって致命傷となりかねない判断が横行しているのに誰も困っていないのです

メンバー個人が困っているときは「◯◯さんが課題を抱えている」という具体的で分かりやすい状況のため、解決する力が働きやすいのですが、「誰も困っていないがチーム全体に致命的なことが発生している」と困っている人が見えにくい上に、なんか業務まわってしまうので解決する力が働きにくいのです。

 

むしろ「えっ決めるのって上司の仕事じゃないんですか。決めてくださいよ」って人もいたりします。
上司さんも仕事は成果を出すためにやってるんで、自分で決めるのも他者に任せるのも手段でしかないはずです。他者に決めてもらう方が上手くいくというなら上手くいく判断ができる人に任せた方が良い。だから決める人は上司でもそうでなくても良いのです(決める人が誰であるかと指定することはあるだろうけど)。当たり前の話なのです。

 

致命傷を避けるためにがんばる

解決策としては組織マネジメントがんばる。普通にこれしかない。

ある「判断すべき人」は職人的な技術や判断は正しいけれど、判断に責任を負えと言われると急に何もできなくなるタイプかもしれません。そういう人なら「技術や判断はその人が行うが、責任は任せている人がとる環境」を作る。

上司的なひとも部下からの判断をお願いされたら「聞かれたら答えちゃう」というのがありがちです。そりゃ頼まれたら応えたいよね。それに対して「決定を依頼されないような環境」づくりや「聞かれたら意見は言うけど、決定は上司の意見に流されずにできる環境」を作っていく。

当たり前なんですけど、これが正攻法といえます。
(ただし、多くの組織でその当たり前が実行されないわけですが…)

 

正攻法を実行することができないのは何故か。
これまでその人が生きてきた人生で「技術や知識は提供しても、意思決定は誰かに委ねてきた」を2、30年やってきたらそんな環境を作っても簡単に変化したり行動を変えたりはしないというか、決めてもらえないストレスでダメになっちゃうことも多いです。

だって、これまでの人生で目上の人に決めてもらうこと良いこととして長く生きてきちゃった人ですもの。

 

「決める能力がある」×「しかし決定の責任を負う資質がない」×「行動や思考を変えるのも難しい」この3つの要素がそろってる人は割と多い気がします。人が集まると必ずいる、くらいのレベルで。

でもそういう人が問題かというと間違いだと思います。排除するのは違うんですよ。「決める能力がある」人の能力を引き出せないなら、その組織はいつまで経っても「決める能力」を得ることができないと思うのですね。人が集まればそういうことがほぼ発生する特性であると理解してマネジメントに取り組む方が健全といえるのではないでしょうか。

チームメンバーが決める能力も責任も負う力もあるカンペキ人類ではないことを嘆くよりも、メンバー持っている決める能力を活かして、組織として「決定の責任を負う力がない」のをフォローする。強いチームを作るってそういうことなんじゃあないですかね。

 

 

 

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