ニンゲンは超能力者でもない相手に「言わないでも察する」を求めてしまうよねの話。

こんにちはこんにちは。 みなさんお元気ですか、フジイは元気ですがそろそろ今年が終わるらしいと聞いて慄いています。
今年、お前……消えるのか……

さて、今日はヒトはなぜ自分も相手も超能力者ではないのに察してくれることを求めるのか、その謎を解き明かすべく取材班はアマゾンに飛びます(飛びません)

突然ですが自己開示の話をするぞ。

自己開示というのは「私は、こうしたい」「こういう風に進めたい」「こういう言い方だと受け入れやすい」など、自分のことを関係者、仕事ならばチームメンバーに『相手に伝わるように自分のことを開示する』という行為のことです。

お互いが「言葉にしてちゃんと伝えないと分からない」というのを前提にしていると、言ってもないことで疑念を持ったりするような余計なすれ違いが減ります。

でも、わざわざ言葉にして伝えるのは面倒だから、相手が超能力者でもないのに「言わないでも察する」「わざわざ言葉にしなくても、わかる」を自然に求めてしまう。

人間の習性的に「わざわざ伝えるのは面倒」だと言葉すること伝えることを避けてしまいがちで、言ってもないことで疑念を持ったり、余計なすれ違いが起こり続けるのは生活していてみなさん体験があるのではないでしょうか。
むしろ面倒を避けて通ってるつもりで面倒ごとを増やしていると言えますよね。

「理由はないがなんとなく気が合う」って人とだけ仲良くするって方法もあるのですが、会社や組織みたいにコミュニケーションを設計できるような場なのであれば、コミュニケーションの前提を決めておくだけで「なんとなく気が合う」を増やすことができる、と僕は思います。 (なので息苦しいコミュニケーションルールを作る、という意味でありません。始める努力、維持する努力は意識的にしないといけないけれど。)

特に色々な人たちが集まって大きなゴールを目指すようなシチュエーションでは、しっかり自己開示していくことで同じ目的を目指せる関係性を築いていくことができ、連携してパフォーマンスを発揮することができます。

チームメンバーに失敗や苦手なことがあってもフォローしあえるし、同じ目的達成のためという共有ができていれば言いづらいような課題についても隠したり先延ばしにせず話せるチームでないと成果って出しにくくないですか。

ハードな課題があったとき、「どうせ他のメンバーに伝えても何かしてくれるわけでもないし、上手くいってないって思われるの嫌だしな」と自己開示しないで一部の人が抱えるようなチームでは誰がなにをしてるのか分からず不信感や疑念に繋がりやすいですが、ちゃんと言葉にして伝えていれば、メンバーは直接その課題になにかができなくても不信感や疑念を感じることはありませんし、言うまでもなく自発的にサポートもするようになります。
(急に伝えてみても突然良い結果になるわけではありませんが、普段から開示できているチームなら良い結果になります)

優秀な人が集まったチームほど、チーム内の情報量が多いことでその能力を発揮しやすいことは間違いありません。

しかし、「自己開示する人は甘え」みたいに思ってる人もいるのですよね。 弱みをみせずに良いところはアピる、というのが有利に働くこともありますが、弱さがあるみたいなところが露呈して損するようになってきている(結局はオープンにせざるを得ないことが増えてきていて、だったら最初から開示した方が得になることが増えた)のかなという気もします。

上手い自己開示には、自己理解が必要なんじゃ。

人間は伝えることを面倒くさがる癖だけではなく、自分にとって望ましい印象を与えようとする癖があるらしく、それは自己開示ではなく「自己呈示」と呼ばれています。

自己呈示は、自分の欠点を隠したり、相手が聞いても安心するような良いことだけを選んで伝えるなど、自分の一部だけを見せるといったものです。 (意図的な場合もあれば、無意識にしている場合もあるでしょうから騙しているとか、そういうことではないのですが)

僕が「自己開示の上手い」と思う人は、相手が自分と話しやすいように(自己呈示ではなく)自分のことを分かりやすく知ってもらえるように伝えているように見えます。

つまり、自己開示が上手い人というのは、自分のことを飾らずに言語化できるほど「自分が何者か」を感じ取る努力をして、言語化している人ということになると思います。

多くの人は自分が感じたことを言うことはできても、自分自身がどうしてそう考えてしまうのかを考えなおしたり、それをどう伝えたら理解してもらえるかを考えて生きている人は少数ですから、ここで上手い・下手が出てしまうのかなと。

「自己開示は甘え」とか思ってる人は、自己開示ではなく相手に言い訳やできないことを飲んでもらうような自己呈示を想像していたり、お互いが自己開示してパフォーマンスを発揮しているところを想像できていないのだと思います。 また、そもそも自己理解ができないタイプで何が自己開示なのか、なにが言い訳や自己呈示なのか分類できていないのかもしれません。

MVV (ミッション・ビジョン・バリュー) が無意味なタテマエになるのは自己開示が下手なんでないの。

みなさんの働いてる企業にはMVVありますか? 「ミッション」「ビジョン」「バリュー」のことを頭文字をまとめてMVV。

こいつらが決まってると仕事の方向性や顧客への姿勢に一貫性を持つことができ、意思決定が早まったりブレにくくなるという効能があるのですね。

本気度の高いMVVがしっかり定まっていると、事業の意思決定をするための前提が決まってるので、改善スピードがめちゃめちゃ早まったり、人材採用がブレにくくなったりします。 いや、ほんとバチッと決まると強いぜMVV。

しかし、その一方で「ウチの会社のビジョンって、まったく目指してないこと書いてありますよね」とか「社会に〇〇を提供とか書いてあるけど、やってることはまったく違う」なんて話もよく聞くところです。

僕は、これが起きるのって経営者が自己開示が下手な場合に多いような気がしているのですね。

例えば「最高の技術力を」みたいなバリュー的なものを決めた会社があるとしたら、当然に「これからマジでガチで本気で半端ない技術を求めている顧客向けの事業作りや、それを提供するための人材採用や組織づくりをしましょうか」とならないといけないわけですが、割と「えっ、そこまで徹底する気はなくて……そんなつもりじゃないんだけど……技術の会社だから言っただけで……」と決めた経営者が言い出すなんてことがありますね。5000万回くらい見たことあるわ。ある。

でも、そんな経営者もズレたこと言いたくて言ってるわけでもないと思うんです。 想いを良い感じの言葉にしなくては……と、自己提示になっている自分に気が付かずに進めてしまったのだと思います。

「お前の会社、そんなの目指してないだろ」なんて言われたい経営者もいないでしょうし、MVVを無意味なタテマエなんだと思っているタイプの人だとしたら、わざわざそれを決めたりすることもないでしょう。

こんなのタテマエだからいらねーよと内心思いながら決めている経営者も少しはいるかもしれませんが、多くの場合は決めたときは想いを形にできたって思ってるんじゃないでしょうか。

このブレブレになっちゃうのとか、無意味なタテマエ化ってしたくてしてるわけじゃないと思うんですが、何で起きるのかなーと考えているときに、ふと「つまり自己開示が下手なのでは???」と思ったのですね。

自己理解をしようと努力して、MVVというフォーマットで自己開示する、という話。

冒頭で書いたMVVが言葉だけのタテマエになるのは「企業」という集団もまた自己理解・自己開示が下手なことが多く、「自己呈示」的なMVVを作ってしまいがちなのだと思います。

我々は何者で、何のためにこの事業をしているのか、なぜ顧客が使ってくれて、なにに顧客はお金を払うのか。

そういったものが考え抜かれていなくて、「相手にどう見られたいか」とか「こうだったらいいなという気持ちはある(実態として目指していない)」みたいなもMVVが出てくるのは企業自身が自己理解が低いまま見られたい姿を言葉にしてしまう企業が多いような気がします。

MVVの効能は、なににリソースを投下するのか、どんなリソース(たとえば人材)を調達しようとするのか、どんな組織を作ってどんな事業をやるのかを明確にしてブレない意思決定をハイスピードにすることにあります。
※別にこれはMVVというフレームワークじゃなくても良いし、実現できるのですが、フレームワークを使った方が楽よねという話です。MVVという形でなくても良いと思います。

宣伝のために作るわけではないですし、もちろん社員に「ウチの会社って素敵ー」って思わせるために作るわけではない、と僕は思います。 (そこからして勘違いしてる人もいるような気がする)

とりつくろった「自己呈示」ではない、事業や組織の強度を上げるようなMVVとなるためには、企業自身が自己理解ができていて、それが組織の意思決定や社員の行動に影響を与えるようなMVVが必要で、しっかりした自己理解が必要なのですよね。

MVVであれ個人間のコミュニケーションであれ、自己を開示するには、自己を知っていないとできない、言葉にすると当たり前のことですがそういう前提が理解されていないと自己開示しているつもりの言葉が出てきてしまうのだと思います。

コミュニケーションにコストかけないことを自慢するな

多くの人は「わざわざ伝えるのは嫌だ」とか「言わなくても伝わるべき」だと言葉すること伝えることから(必要だと思っていてもできない、というのも含めて)避けてしまいがちです。

ニンゲンは面倒なことから逃げる習性があるのですよね……。特にコミュニケーションについてはそのような面が強く出るように思います。

でも、そうやってコミュニケーションにひと手間かけることを避け続けても結果的には面倒なことが起きやすくなります。

ここまで書いたような自己開示や、自己理解の徹底されたMVV策定などは、コミュニケーションの手間を省くと出てくるような問題を避けるために使えるわけです。

「コミュニケーションコストを下げたい」みたいに言う人いるけど、下げたコスト以上の面倒を抱える結果になりやすいので、僕はかけるべきところにはコストはしっかりかけてコミュニケーションした方が良いと思ってるのですよね。

僕の知ってる経営が上手い経営者(※)やマネージャは、多くが自己定義が上手い人が多いように思いますね。
(※経営が上手くなくても会社が大きくなったり有名になったりはしますので、ここではプロセス設計や意思決定という意味での経営が上手い人という意味です)

プライベートな友人やパートナー関係でいえば「自分はどういうことが好き」で「なにが苦手か」とか「それらについて、相手にどうして欲しいか」が開示されてると、相手のことがよく分かるし、相手から開示してくれている安心感を得られる(それが相互に小作用する)と言われています。

「自己開示なんてしたくねえ」って人や苦手だという人も多いでしょう。

自己開示(特にマイナスな内容の開示)への抵抗感について「そんな嫌な思いをしたいくない(させたくない)」というのは理解できます。

しかし、時間を長く共有する相手や大きな目的を共有する相手とであれば「マイナスな内容を開示しても良い関係」を目指さないことによるマイナスの方が大きいことは間違いないことですよね。仕事のチームメンバーもプライベートもそうなんじゃないでしょうか。

 

個人も組織も、自己開示のための自己理解に努めると良いんじゃないか。

先日、この話をある人にしたら「とある成功者は、毎日寝る前に自分が何者であるかを考えてから寝ているらしい」と聞きました。

それはストイックすぎるwwwと笑いながら話したんですけどね。

 

でも、自分は何であるかを他の人に伝える能力・スキルって、年々大事さが増しているんで、そこまでストイックでなくても自分が何者であるか考えることは大事だと思うんですよ。

 

これは個人だけではなくて、組織こそそうあるべきで、社長個人の想いや言葉とその組織が何者であるかが乖離していたりする組織ってすごく動きづらいと思うんです。

 だからこそ、この会社・組織・チームは何者なのかって自分たちに問いかけることは個人よりも重要なんだと思うのです。

 

 

このブログエントリ、やたら長い割に言いたいことは最後のパラグラフに書いただけなんですけど最後まで読んでくれた方ありがとうございます。

 

年内にもう一本ブログ書きたいなー…。