僕とインターネットの昔話とこれからと。

インターネットが好きだ。

 

今日はなんとなく区切りの日だから昔話を書きたい気分なので昔話を書きます。
バリバリの散文なので読んだ人が得をすることはないと思うけど書いてみる。ところでバリバリの散文ってどんな文なんでしょうね。

 

ブログをはじめて13年ほどになる。Twitterは始めるのが少し遅かったので11年くらい。

初めてインターネットに繋いだのは多分25年か26年くらい前で、最初の個人サイトを立ち上げたのはそれから2年後くらいだったと思う。

 

僕よりもインターネット歴の長さも深さもディープなひとは沢山いるだろうけれど、まあまあインターネット老人である。

 

最初に買ったインターネットに繋がるPCは富士通のやつで、当時の僕にとってはかなり高い買い物だった。
(脇道にそれるがインターネットに繋がらない最初のPCは小学生のころ父親が会社で使わなくなったPC-8001Mk2を貰ってきてくれたやつで、カセットテープでデータを保管するやつだった)

その富士通のPCで作ったWEBサイトを通じて、友達が沢山できた。
その当時のインターネットなんて人口ぜんぜん少なかったはずだけど、インターネットの情報流通ならば遠く離れたところにいる人にも僕がどんなことを考えているのか知ってもらえるし、その人から反応を貰うことができた。インターネットすごい。

当時の僕は若くてインターネット以外での交友範囲はとても狭かったのだけれど、インターネットを通じて年齢も仕事も様々で多様な人たちと仲良くなることができた。

インターネットが僕の人生を変えはじめていた。

 

その後、僕は東南アジアやインドを放浪するのだけど、まだブログもなくwi-fiも飛んでない時代に5kgくらいあるノートPCを背負ってバックパッカーをしていた。

HTMLを書いてインドやタイのネットカフェで店員さんに頼み込んでフロッピーディスク経由でFTPに繋いで旅行記を更新した。ブログがあれば楽だっただろうな…

「日本語使えますって看板に書いておけば日本人旅行者が客で来るよ」とネットカフェの店員に言っては日本語IMEをインストールして日本語の読み書きができるPCを勝手に増やしたりしていた。あれはきっとどこかの誰かの役に立ったはずだ。

リアルタイム旅行記は(ってほどリアルタイム更新でもないんだけど、日本語ブログサービスもSNSもない時代に現地から更新してるのは珍しかったので)、まあまあ面白がってもらって、友人だけではなく知らない人に読んでもらったりした。

ちなみにインターネット老人にしか通じないクソ自慢であるが、当時はYahoo!Japanのサーファーのおすすめマーク付きサイトだったりしたのだ。

 

インターネット人口も少ないし、みんなインターネットに電話をかけて繋いでいたので常時接続もない時代だったのだけれど、海外旅行者の集まる掲示板で情報を集めて、会ったことのないネットの人を経由して信頼できるインド人を紹介してもらったり、そのインド人を訪ねたりした。

紹介してくれた人は、僕が本当に会いに行ったと知ってめちゃめちゃ興奮して喜んでくれた。僕の方からお願いしたことだけど嬉しかったな。
(そのインド人はめちゃめちゃに良いやつで、僕がバイクでインドを周るサポートをしてくれた)

 

日本に戻ってきてからは、ECとか今でいうデジタルマーケティングみたいなことをした。自分のWEBサイトを通じて色々な人たちと繋がったりしてインターネットの凄さを体感していたのもあって、企業でもインターネットを使わないなんてあり得ないなくらいの自然な感覚があったから。

ここらへんから、僕にとってのインターネットは呼吸と同じくらいの普通のことになっていて、「これからはインターネットの時代なんですよ」とか言うこともなくて、ごくごく当たり前のこととしてインターネットを使ったマーケティングやシステム開発をしていた。
(この当時にO2O的なことをやっていたのは僕が管理してたECと、ヨドバシカメラくらいしか知らない。O2Oなんて言葉もなかったけど)

 

まだまだ「インターネットで買い物なんかしないよ」とか「クレジットカード番号を入力するの信じられない」なんて言われているころだったけれど、インターネットを通じて商品や情報を届けて店頭販売とは違う価値をお客様に提供できていたと思う。

今でいうPdMとかPOみたいなことをしていたわけだけど、WEBマスターどころかWEB担当者という言葉すら一般的ではなかった気がする。ここらへんの役割とか求められる重要性とかは大きく変化したなあ。

 

インターネット関連の仕事をしている人たちの勉強会も、今や勉強会なんて余るくらいあるけれど、当時は「こんなのがあるのか!!」と感激して参加したりしていた(これまたネット経由で繋がって)

いまは事業会社(?)も多いけど、そのころは圧倒的に制作会社の人が多かったので、僕みたいなインターネット関連でもない事業会社の担当者が参加してるのが珍しがられて、スピーカーとして登壇させていただいたりもした。楽しかったな。

 

その少し前くらいから、このブログも書くようになる。

昔は週4くらいで書いていたこともあるのだ。
いまは年に3本くらい(酷いときは年1本)しか書かなくなったけどね。

 

ブログとTwitterを始めてからは、そんなに読者やフォロワーが多いわけでもないのにイベントなどに参加したら「前から読んでますよ」と言っていただくようになった。そういうのうれしいよもっと言ってくれ(何)

メールやTwitterで「はじめまして!!ブログ読んでます!!今度ご飯いきませんか」なんて声をかけてもらうことも沢山あって、それがきっかけで仲良くなったり、仕事につながったり、一緒にイベントやったりすることになったり。
(2021年はそういうのもっと増えても良いと思ってるので、僕と繋がりない方からのお声掛けもウェルカムです)

 

インターネットで人生が豊かになったことは間違いないし、たぶん僕以外も多くの人が同じようにインターネットが普及して広まるとともに人生の選択肢が広がった人も多いいですよね、きっと。

インターネットすごい。だから僕はインターネット(ワールドワイドウェブによる情報流通という意味で)によって生かされたという実感をもって生きているし、インターネットへの感謝が強い。

仕事になって食えているからではなく、このブログやTwitterのように自分の言いたいことを言いたいように書くことができて、それがコンテンツ配送の仕組みによってまったく関わりのなかった誰かに伝わったり、その人と僕が関わることになるという情報流通すべてに感謝している。インターネットすげえよ。愛してる。

 

そういう体験が繋がって、起業して色々な事業やサイトやサービス作ったり、事業を売ったり、ちょっとだけ某社の執行役員やったり、いろいろな企業や事業に関わらせていただいたりした。人生ってすごいね。インターネットも面白いが人生というものもすごい面白い。

 

2020年はコロナ禍がありインターネットを通じて新しい人たちに出会うというのも少し難しい状況になったけれど、インターネットやそこに根付くサービスたちのお陰で物理距離があっても会話したり、仕事したりできた。
これまたインターネットのおかげである。崇めてもいい。

 

しかし、多くの人がインターネットに繋がったことで、混乱も起きていますね…。
火事と喧嘩はネットの華といって笑っていられたのも数年前までで、みんな好きなことを言えるわけでもなくなってきたと思います。

「インターネットが好きな人たちは余計なことを言わない」になってきていて「むしろ余計なことを言って対立を利用して発言を目立たせる」みたいな人が目立つようになってしまった、と僕には見えています。

 

これは、あまり良いことではないな、と僕個人としては感じていて、少なくとも自分の周りだけでも優しくて楽しいインターネットにしたいのですよ。


特に何をすると決めてるわけでもないのですが、そんな思いもあって来年からは少しスタンスを変えてインターネットに向き合っていきたいなと思っている次第です。
ここらへんについてはまた来年に書きます。あと仕事の仕方も変える、たぶん。

 

 

つらつらと書きましたが、あと30分以内に買い物に行かないといけないので本年はこれくらいにしておいてやるぜ (読み返さないで公開しちゃう)

今年も大変お世話になりました。
ではでは、また来年 ノシ