今年もそうでしたし来年も (2017年のおわりに)

こんばんは。2017年最後のブログです。

今年もあまり更新は多くないブログとなってしまいましたが、お会いした方から更新を楽しみしてますと言っていただけたことが何度かあって嬉しかったです。
来年も止めることなくユルユルと更新していく所存であります。

2017年は1月1日付けで事業譲渡してジョインした"赤い弊社"ことCAMPFIREでの動きと、一旦は事業がカラになりつつも会社としては7期目を迎えた"緑の弊社"ことバンダースナッチの再スタートの両輪を進めた時期でした。いや、なかなか大変だった。

一年だけ振り返ってみると「特に何ができたわけでなく来年に持ち越し」みたいな気持ちになるところもあるのですが、よくよく考えてみると毎年毎年を振り返る度にそんな風に思うことの方が多い気がします。

それでも、3年とかくらいの単位で振り返って見てみると「3年前にこうなるとは誰も思ってなかったな。随分と遠くに来たもんだ。」という気持ちになります。

事業も人生もそういうものなのかもなーと思ったりします。

一年で大きな変化が出ていないことを振り返ると焦ってしまいがちですけれど、三年くらいを振り返りながら着実に目指すべきところへ進んでいけば良いんじゃないかな、と思う2017年末なのであります。

そうそう、事業譲渡したので年初は僕とCo-Founder2名だけになっていた"緑の弊社"もAIとマシンラーニングの事業をスタートさせて、今年の終わりには外部メンバーも入れると忘年会ができるくらいの人数になったので忘年ランチ会を開いたんですよ(みんな忙しいのでランチを一緒にとるくらいしかできなかったわけですが)。

そのとき「短期的には重い課題も山積みだけれど、来年末には笑い話になるようにしていきましょう」ってメンバーのひとりが言って、みんなが頷いてくれたんですよ。

こういう力強さをもって動くチームメンバーがそろっただけでも、この一年で何か結果を出せているわけでもないけれど一年かけてチームメンバーをそろえてきた意味あったなあと嬉しくなっちゃいましたよね。

"赤い弊社"も同様に何か特別な結果を出せているわけではないけれど地道にシゴトを積み上げてきているので、もう2年くらい後に振り返ってときにはその積み上げが花を咲かせていることと思います。

今年もそうでしたし来年も飛躍するような一年ではないでしょうが、数年単位では花を咲かせるように動いて行きたいと思います。

ちなみに2012年の終わりにも似たようなことを書いていますな…。

あと、ここ一年でインターネット全体としては荒れ荒れだった気もしますが、個人的には素晴らしさを再確認するような出来事が沢山ありまして、いんたねっつ最高だなと再確認した2018年でもあります。それについてはまた来年にでも気がむいたらブログに書きたいと思います。

あと僕はいまオフィスにいてブログを書いて掃除をしたら帰ろうと思ってるんだけど、どうにもブログのオチがついていないと帰れそうにないので、最後にアメコミとかファンタジー小説などを手がける作家ニール・ゲイマンが2009年(もう8年も前)に言った年末のメッセージを引用しときます。

みなさんの新年が、魔法と夢と、善良なる狂気に満たされますように。すばらしい本を読み、すばらしいと思う人にキスをして、それから芸術も忘れないでほしい。執筆したり、描いたり、作ったり、歌ったり、または、あなただけにできる生き方をしてください。そして来年のいつか、あなたが自分自身に驚かれることを期待します。

…あなたにとってすばらしい年になりますように。過激で突飛な夢を見る年であり、これまではあり得なかった何かを実現させる年であり、あなたが愛され慕われる年であり、その見返りとして、人々に誰かを愛し慕うように促す年であり、そしてないより大切なことは(今の世界には、優しさと知恵が欠如していると感じられるので)、ここぞというときには賢く、そして常に優しくいられる年でありますように。

このエントリーで僕が書いたのと矛盾にして突飛で狂気のあることを勧めてますけれども(笑)
読むと来年も頑張ろうって気になるから良いよねw

さて、みなさん。今年もありがとうございました。
来年も(あるいは来年こそ)、良い年にしてまいりましょう。

この「良い年にしてまいりましょう」ってのは、ある友人が使ってるのを見て真似してるんですけど凄く良いと思いませんか。
「良い年になりますように」じゃなく「良い年にしてまいりましょう」っていうのが気にいって自分で思いついたかのようにパクっていますw

…というわけで2018年も良い年にしてまいりましょう。僕も頑張って良い年にします。

このインターネットの片隅で(ブログ10周年だよー)

12月5日でこのブログを開始して10年が経過しました。

当たり前だけれど10歳だった人は20歳になって、20歳だった人も30歳になるくらいの期間ですよ。10年前はまだ初代iPhoneすら日本になかったんですよねえ…。

実際のところ300エントリーくらいしか書いてないし、長く更新していない時期もあるんで10年継続して書いていると言っていいのかどうか分かりませんけれど、10年間公開しているからかお会いした方から「7、8年前からブログ読んでますよ」って言われたりすることも(たまにですが)あります。

ブログを――――――というかインターネットのどこかに何かを――――――書いていたから繋がった大切な友人たちもできたし、今の仕事すらブログを書いていなかったら違うことをしていたと思う(というかブログ書いてなかったら起業もしなかったんじゃないかな)。

時間とともにインターネットにおけるコミュニティやコミュニケーション手段は変化してきましたけれど、誰でもインターネットで情報発信・情報を流通させることができるようなって、それ以前と何が大きく変わったかというと「可視化された」という点が大きいかと思います。

「インターネットは情報発信しないと、いないのと同じ」という言葉があったりしますが、ブログだとかTwitterだとかに何かを書くことで僕らは誰でも(それを読む誰かに対して)可視化された存在になることができるのが凄い変化なんだと思います。
これ、もしかしてそれが当たり前の時代に生まれた人には分からない感覚なのかな?

ここ最近は悪いことが「可視化」されたことによるネガティブな点も問題にはなっていますが、そういう副作用をありつつも基本的に僕は素晴らしいことだと思っています。

僕が「可視化された存在」だから今このブログを読んでいるあなたはこの文章を読んでいるわけだし、僕も可視化されていなかったら知ることができなかった誰かのことばを読むことができるわけですし。

そして実体験としてブログなどを通じてインターネット上で僕という人間が「見えるようになった」人たちがいて、その視界に入ったことで僕の人生は(良い意味で)大きく変わりました。いんたねっつに生かされたと言っても過言じゃないよ。

こんな個人ブログを何年も読んでくださっている方、ありがとうございます。
(もちろん、たまたまこのエントリを見かけて読んでくれた初めましての方もありがとう)

遅筆な上に表現したいことを沢山もっているわけではないので更新頻度はユルユルだとは思いますが、これからも自分のブログを地味に更新していけたらいいなと思っています。

10年間ありがとう。
これからも、どうぞよろしく。

恐れるべきは窮地に陥ることではなく、判断力というパフォーマンス保てなくなること。

「冷静になりましょう」とか「落ち着いて対処しましょう」なんて言葉に対して「は?俺は冷静だっーつの!」とキレながら叫ぶ。明らかに平静を失っているのに自分は大丈夫だと思っている。

……そんな状態の人をバカだなあとか、感情的だなあと嘲笑うことは簡単ですが、「もしかしたら自分もそうなるかもしれない」と思っていた方がいいかもしれないよ、という話を今日は書きたいと思います(この冒頭のセリフと内容はあまり関係ないんだけどよかったら読んでくださいw)。

「貧すれば鈍する」という言葉がありますね。

日々の生活に困るような事態になると賢い人も能力が発揮できなくなったりするという意味。
当然だけれど貧乏人は頭が悪いとか金持ちは頭が良いという意味ではないw

「ストレス耐性」なんて言葉がありますけれども、その耐性の閾値を超えたストレスがあると「鈍する」んだろうなと思います。

僕自身はあんまり自分のストレス耐性を信じていないんですよね。だからできるだけ自分がストレスを溜めないようにしてる。

むしろ、「自分は耐性ある方」みたいに自信をもっちゃうと判断力を失う(鈍する)閾値を超えるかどうかのところで自分を信じてしまうという致命的な判断ミスをしそうじゃないですか。
ゲームじゃないんだから、自分の残りHPやMPが可視化されているわけじゃないし、むしろパフォーマンス低下状態になればなるほど自分の状態異常を認識できなくなっていくわけですから。

「パフォーマンス低下状態になればなるほど自分の状態異常を認識できなくなっていくのだから、自分の精神的な健康状態は自己判断できない」という考え方をベースに置くだけで、普段の行動を良い方向にもっていけるのではと思っています。

事業をやっているとハイストレスな状況というのは必ずくると思います。いや事業をやっていなくても人生で普通に暮らしているだけでピンチになる、窮地に陥る、精神的に追い詰められるということは誰だってそういうタイミングが来ることはあります。

そういう窮地に陥ることを怖がる人は多いですが、本当に怖いことは窮地に陥ったときに判断力が保てなくなることじゃないでしょうか。

「あのひと、なんで状況が悪化するようなことするんだろう」とか「あんなになる前に、こうすればよかったのにね」なんてのは精神的な健康状態を保てている人の言葉。

例えば、僕が自分の会社の事業で大失敗をして(縁起でもない例えだけれどw)ひどい状況に陥るとしても、判断力があれば現代の日本で生活できなくなるようなことってないと思うんですよ。
けれど、精神的な健康状態が悪化していることで普段は簡単に思いつくようなことが思いつかなくなるものです。

判断力を失ってしまうと、生活を立て直すことすらできなくなってしまう。
生活できなくなる、みたいな極端な話でなくてもいいんですが、健康な精神状態で問題ない判断力をもっていた人がちょっとした不調で判断ができなくなるみたいなことって日常生活にも溢れていると思うんですよ。

繰り返しになるけど、窮地に陥ること・ピンチになること自体を怖がることはないと思っています。

でも、窮地に陥ったときに普段の判断力が保てていなかったらそこから抜け出すことはできないし、判断力を失ったら自分が判断力を失っていると気がつくこともできなくなる。

だから自分の判断力が落ちることは恐れるべきだと思うし、できるだけ普段から回避するようにしなくてはならないと思う。

ストレスの被弾は最小限にして(継続的にストレスを感じる環境に身を置かない)、被弾したら回復に努める(睡眠はしっかりとる)、回復していない状態が続かないようにする(寝られない・食べられないにならないように)、こういうことを普段こそ気をつけていかないといけないのかなと思います。

かなりの窮地に陥ってもベストのパフォーマンスで望めるように慢心しないようにしたいものですね(あ、単にこういう話を人としたからブログにも書いただけで僕がそういうハードシングス的な状態にあるわけじゃないからねw)。

12月5日でブログ10周年らしいので何かしたいかもしれない

ここのところブログを毎日更新しているんだけれど、今日は日曜なのでユルめに書きますよ。いつも以上にほぼ個人の日記です。雑文注意。

このブログを書き始めたのが、2007年12月5日だそうです。

10年前。

早いもので今年の12月5日で10年ですよ。

[blogcard url="http://fujii-yuji.net/2007/12/post.html"]

まあ長期で放置している時期とかもあるので「10年書いてる」というよりも「始めて10年」でしかないんだけども。
初音さんちのミクさんも今年10周年なんですってよ。同い年なんだね( ← 無関係)

いま仲良くしてくれている人のほとんどが僕のブログとツイッターを見てくれていた(あるいは僕がブログやツイッターで絡んだ)方なので、自分の人生に大きく影響を与えているなあという感慨深さはあったりします。

2007年~2010年くらいまではブログ間で意見を書きあったりしていて、このブログもそんな感じのことをよくしたなあ。でもほとんどの方がブログを止めてしまってる。さみしい。さみしいけど僕はまだここにいるよw

SEOとインターネット界における火付けの権威である辻正浩さんもこう書かれてます(約2年前に書かれたものだけど、まさにこの辻さんの書かれた文章を僕は思い出して読み返してるわけです)。

ただ困るのは、時々読めない記事があるんですよね。インターネットアーカイブに残っていれば良いのですがそこでも見つからない記事も。

タイトルで思い出しては「あれは良い文章だったなあ」「勇気づけられたなあ」「また勇気づけられたかったなあ」と思ってしまいます。

公開したページを消すときはどうか一度思い直していただければ嬉しいです。あなたの文章を必要としている人がいますので。

 

ほんとそうですよね。僕のブログを必要としている人はいなそうだけど(笑)、読めなくなってしまったブログを僕が必要とすることは沢山あるので、ほんと心から同意。

いま関わってる仕事や僕の会社も、ブログ関連からの広がりがあったからこそやってるわけで、ブログ(というかインターネット全般だけど)やっててよかったなーと思います。ほんと、いんたーねっつに生かされてる。

僕は直接会った人から「フジイさんは、こっち(物理的な肉体ある方)はアバターで、あっち(いんたーねっつ)が本体ですよね」と言われるようなタイプで、自分から交友関係を広げたりはほとんどしないネクラなんだけど、ほっといたら職場のひと以外は誰とも話さない---なんてこともなく、ブログ経由でご飯やお茶のお誘いをいただくので定期的に知り合いや友人が増えていってます。

これ、もし僕が現代に生きてなかったらどうなっていたんだろう…。
ありがたやありがたや。

どうでもいい余談だけど、ネタとして「他人の金で寿司が食いたい」ってのをよくツイッターSNSに書くんだけど、たまにガチで「いつ行きますか」って言われることがあって困ります。いんたーねっつに不用意なこと書けないねw

つい先日、僕の会社(赤いロゴの方じゃなく緑のロゴの弊社ね)が設立6年で「今日ウチは設立6年らしいけど、みんな特に何をするでもなく普通に仕事してるぜ」ってネットに書いたらお花をもらってしまったり。不用意なことを書けないんたーねっつ。お花ありがとうございました。

さて。
10周年に何かしようかなと思うんですけども、特に何が思いつくわけでもなく。仕事もバタバタしてるから、そんなに時間たくさんとるのもできないしねえ。

読者の方と飲み会とかも考えたけれど、そんな人気ブログでもないので集めるほど数はいない上に場合によっては友達2人くらい来るだけとかありそうw

会社の設立記念日すら何もしないのにブログの方はなにかしようとしてしまうあたりがアレですが何か良いアイディアあれば教えてくださいませ。
このまま何も決められないまま12月5日を迎えそうだけれど、それはそれでアリってことでw

支払いだとか操作の「たかが数秒とか1分くらいくらいの違いでしょ?」についてのお話。

できるだけコンビニやファーストフードなどの支払いは現金ではなく電子決済系にしています。

小売の出身で、特にEC関連の仕組みのことを考えるのが大好きなので決済についても考えるのが大好きなのですが、とはいえ日本においては現金って便利だよなとも思うので急進的キャッシュレス派ってわけでもないんですけどね。

Twitterとか眺めてると、たまに現金使ってるやつ馬鹿なのアホなの死ぬの的なことを言っている人を見かけますけど、日本においては現金払いの便利さがあるわけですし、そこまでキャッシュレス至上主義的にならなくてもいいのになーと個人的には思う、ゆるふわキャッシュレス派です。

僕は、横浜にある自分の会社での仕事と、渋谷の会社での仕事がそれぞれあるので横浜~渋谷を行き来することが多いのですが、都内のタクシーって交通系ICが使えるの普通なんですよね。
横浜だと、まだ一部のタクシー会社しか使えなくて、現金以外だとクレジットカードしか駄目だったりすることも多いです。

急いでる時は特にですが、クレジットカードでタクシーを支払うと現金より明らかに遅い。

運転手さんが決済用端末を出して、運転手さんがカードを通して、通信を待って、印字を待って、サインをしてレシートを受け取って………20秒で終わるはずの支払いが下手すると3分くらいかかったりします。

その点、交通系ICの決済は、タッチしてレシートもらうだけ。現金より早い。
こういう体験を積み重ねているうちにタクシーだとクレジットカードってイマイチだなーと思うようになってしまいました。レストランだとそうは思わないから支払い体験の感覚に違いがあるんだなあ。

あくまでも僕の視点ではありますが、タクシーの体験から振り返ってみると電子決済系の良いところって、キャッシュレスなのが良いというよりも支払いアクションを減らすことにあるわけですよね。

ここらへんは異論はないと思うのですが、交通系ICで改札を通ると、いちいち切符を買うのが異常に面倒な行為だと感じるようになりますし、自動車でETCを使うと料金所のおじさんにお金渡す手間が煩わしくなります。
(料金所のおじさんとのハートフルなやりとり体験が好きって人もいるとは思いますが、それはまた別の話かと)

「たかが数秒とか1分くらいくらいの違いでしょ?」って思ってしまう人がいるのも分かるのですが、決済ではないアクションで例を出すとテレビのリモコンがなくて本体を操作しないといけなくなったら数秒の違いでもストレスですよね。だから数秒だから関係ないとかそういうことじゃないと思います。

自動車の鍵のキーレスとかもそう。
「こんなワンアクション減らしたところで…」と思っていた人がキーレスの日常に慣れると元に戻れなくなるw

少し話はズレるけど、友人から「そんなに使ってるの」と言われるくらいスマホ(Android)の音声操作を多用しています。

「ここから自宅まで 終電」とか「明日の11時に○○さんとミーティングって予定入れて」とかめちゃくちゃ便利。「朝7時に起こして」とかも便利すぎて死ねる。他の人に聞こえないくらいの声で動くから街中で歩きながら音声操作したりしちゃう。

もう慣れるとポチポチ画面をタップして操作する気が起きない。
もちろん画面を見ながらの手入力の方が便利なこともあるから、音声の方が楽なことを見つけては使い分けて操作するようにしています。

Amazon echoは招待メールが来ないのでお預け食らってますが、Google Home(mini)は購入して便利に使っていますし(機能がまだまだの点が多いですけどね……Googleがんばってくれ…)。

あ、それから一年くらい前にニュースになったコンピュータービジョンやディープラーニングを使ってレジをなくした(商品を手にとって店外に出るだけで自動決済される)スマート食料品店 Amazon Goも、レジある店に戻れなくなるくらいのインパクトがありそう。

オープン準備も進んでるって報道もあるみたいだし楽しみですね。

決済の話から少し離れてしまいましたが、使っていない人が「こんなワンアクション減らしたところで…」って思ってしまうのは仕方ないことと思いつつも、テレビのリモコンがなくてワンアクション増えることが不便なように慣れてしまえば手放せなくなるようなワンタッチ操作って、ここ数年で増えたし、これからの5年くらいの間に爆発的に増えそうだよねと思っていたりします。
(Amazon Goの場合はワンアクションどころじゃなくレジに並ぶところから支払いまで全てがなくなるわけだけど)

なお、ここまで読んでもらって何ですが本記事に特にオチはありません(何)
それにしても、単に何でも行為を減らせば快適感があるってわけじゃないし、「このアクションが減った体験をしたら元に戻れなくなる」に気がついて機能や製品に落とし込んでる人ってほんとすごいよねえ。

 

課題の解決方法を見つける前に自分には無理と諦める人が多いから「考えるのを止めない人」が頭が良さそうに見えることが多いって話なんじゃないかなーというお話

仕事をしていて何かの課題にぶつかったときに安易に「自分には無理です」や「経験やスキルがないからできない」という言葉を口にする人をみると、そのたびにモヤモヤしたものを感じるなーと思うフジイです。

自分にはできないとか、「これくらいしか思いつかない」なんて決めつけをするから、できないことが増えるんじゃないかなーと思うことが多いからです。

いや、無理して気合で考えぬくみたいなブラック話をしたいわけではないのですけどね…。

「頭が良い」とついつい思ってしまうような頭の良さに出会うと僕ら一般人は「ひえー、頭いいなー」と恐れ入ってしまうのだけれど(僕も恐れ入る側の人間だからよくわかりますが)、そこから生まれる「自分はそこまで頭が良くない」という自覚から「その課題に対して対策や答えを出すことは(自分は頭がよくないから/経験がないから)できない」という自信のなさに繋がってしまっている人が多いのだなと思います。

その「頭が良い」ってのが本当に頭の良さを指しているかどうかは別として…。

日々、業務で高度な課題を解き続けている人を見ると確かに「頭が良い」と感じるけれど、実は頭が良いから課題を解決しているのか、経験値がないと課題を解決できないかというと、そうでもないことが多い気がするんですよね。 (言うまでもありませんが専門性や高度なIQがないと解決できない問題もあるにはあると思います)

さて。 そもそも「頭が良い」が本当に頭が良いのかは見方や状況によって大きく違うので、難しいのですが、仕事で使う「頭が良い」的な何かの特徴として、ひとつの物事から多数の情報を得たり、ひとつの課題に対して様々なアプローチでの解決方法を検討しているというような気がしています。

ここに「頭が良い」と言われるようなタイプでなくても良い仕事をするヒントがありそうではありませんか。

例えば「売上が○○円でした。良かったです」と言われたときに「○○円だったのか。良かったのか。」とそのまま受け取るのではなく、「前日比・前月比・前年度比などの相対的にどうか」とか「営業利益としてはどうなのか」とか「たまたまスパイクした要素があるのか」や「良かったというのは、何と比較した評価なのか。本当に良かったと言って良いのか」とかとかとか様々な切り口を引き出して情報を別角度から評価したり、因数分解したりしてそこから得られる情報量を最大化しているように見えます。

売上のような結果としての情報に触れたときに限らず、「自社製品の原価くらいの価格で他社が製品を販売している」という情報を見た時に短絡的な人は「ウチには同じ価格にするのは無理。向こうは安い」と見たままに近いことを言うように思います。

「どうして他社は当社製品の原価くらいの価格で販売をするできるのか」については製造ロットが大きいだとか原材料を安く仕入れられるとか、特別な効率化手法をもっているとか、様々な仮説を立てることができます。

それらの中から確度の高そうな仮説から順に調査をして、どうやったら同じかそれ以下の価格にすることができるのか考えることは少なくともできるはずですよね。

もちろん、単に低価格にしないで他社に勝つ方法を考えるとか、ここには書ききれないほどの様々な視点を持つことができるはずです。

僕がここで言いたいのは、「頭が良い」または逆に「自分にはその頭の良さ(や経験)がないからできない」とか言ってる人の違いは、「頭の良さ」というよりもそれらの情報や課題に対して、複雑で多次元的な情報を把握しようとしているかどうかの「姿勢」に違いがあるように思うということです。

もちろん、本当に頭が良い人もいるとは思うけれど、実は「頭が良い」ように見える人の多くは「頭の良さ」で解決してるわけではなく、ひとつの情報や課題を単純化せずに複雑に情報を捉えようとしたり、様々なアプローチでの解決方法を検討しているだけだったりするんじゃないでしょうか。

僕が思うに、僕も含む普通くらいの仕事の範囲なら、特殊な専門知識や経験がないと絶対に解にたどり着けない課題なんて、ほとんどないと思うんです。

複雑に絡んだ紐をゆっくりほどくみたいに考えることを諦めないで、もっと別の視点はないかを探すことを続ければスピードは遅くても誰でもできることなんじゃないかな。

もっともっと端的に言えば、安易に課題を解決できる人が自分にはない頭の良さや経験で解決しているという思い込みを止めれば、少なくとも「頭が良くなくても」解決できるような課題を解決するアプローチは見つかるはず思うんですよ。

もちろん、専門性や高度な頭脳がないと解決できない課題も世の中にはありますが、頭が良くなくても解決できる課題なのに解決できないと思いこんでいる場合も多いように感じます。

「これってどうだったら正解だったんですか」なんて上司に聞いちゃういう人っていると思うけど、そのほとんどが 「正答」があって「優秀な人は正答を知ってる」と思っているんじゃないかな…。
構造を分解・理解しようと粘り強く取り組んでないのに「答えを聞いたら自分もできる」とか単純化して捉えていたら、そりゃ同じことできるわけないんですよね…。

安易に誰でも考えつくアプローチをパッと考えて「それしかない」と思いこんでしまったり、他人は正答を知っていると思いこんでいたり、あるいは「私には難しい・できない」って言ってしまいそうなときこそ、その安易さが良質な解から自分を遠避けていると気づいてしっかり考えを深めることに踏みとどまらんといかんと思うのですよ。

課題の解決方法を見つける前に自分には無理と諦める人が多いから「考えるのを止めない人」が頭が良さそうに見えることが多いって話なんじゃないかなー つまり、その課題に良質な解を出すことは僕もあなたもきっとできるんだよ!というお話でした。

占いが苦手で避けている僕でもするする読める、読んでいて心地良い2017年の運勢。

占い好きですか?
僕は正直、あまり好きじゃないんですけどw

そんなことを書いておいて何ですが(ホントごめんなさい)、僕が尊敬する友人で占い師兼ライターの真木あかりさんという超売れっ子の方がいます。

ほんと超がつくほどの売れっ子で、休みなく本や記事を書いている忙しい方なんですけども。

この方はかなりのド変態―――あ、いや、性的な意味ではなくて仕事の話ね―――でして、多分24時間中20時間くらいか、もしかしたらもっと文章を書き続けている(しかも常人からは考えられないくらいのハイスピードで)かもしれないような人で、今月に久しぶりにお会いする機会があったので近況を伺ったら「仕事しすぎて(文章書きすぎて)手にダメージがいって、お箸が使えなくなったからフォークを持ち歩いている」とか、尊敬はするけど真似は絶対にしたくない感じのことを言っていました。良い子は決して真似してはいけません。しないと思うけど。

占いというものを信じるかどうかは置いておいて、話を聞く度に仕事へのストイックさに「こいつはヤバいやつや…」としか言葉がでなくなります。

まあ、真木あかりさんがいかに(仕事的な意味で)変態かを紹介するのはこれくらいにしておいて。

その真木あかり先生がお金とればいいのにわざわざ無料で2017年の占いを公開していて、とても素晴らしい内容なので今年最後のブログはその占いをご紹介をして締めたいと思います。
(紹介と引用については本人ご承諾済み)

冒頭でも書いた通り、僕は占いとかの類を否定はしないものの信じない方だし、割と見たり読んだりは避けてるくらいですが、そんな僕かなぜ紹介するかというと、読んでてめっちゃ面白いからですw

さすが本もバンバン出してる売れっ子ライター。読ませる。

例えば、これ。さそり座のひと向け。

ここまで頑張っていらした中で、「あのときこうしておけばよかった」「あのときは仕方がなかった、でもずっと心のどこかに引っかかっている」といった、心のささくれのような出来事はないでしょうか。小さなことでも、大きなことでも構いません。くだらないことだっていいんですよ。ちなみに私の場合、過去のくだらない遺恨といえば「中学生のとき友達のY子に貸した『日出処の天子』1巻(しかも花とゆめコミックス版!)を返してほしい」というものであります。ない部分は文庫版で補完したので読めはするのですが、やっぱり揃えたいものです。ついでに言うなら元カレが昔うちに忘れていったアダルティーな本『●●の●● ●●●●●』(あまりにアレなので名は秘す)もどうにかしたいんですよね。別れて10年以上経ったのでもう処分していいでしょうか。ていうかなんでうちに持ってきたんだよこの本。自分ちで読めよ。

2017年 さそり座の運勢(年間占い) - 占い師・真木あかりのブログ

後半なんなんだよwww面白すぎるだろw

実際の文量はこの15倍くらいの分量あるので、かなり読み応えあります。お友達だから言うわけでじゃなくて本当に読み物として面白いから全部の星座を読破してしまいました。

いやホントこれ無料でいいの…っていうくらい読み物として素晴らしい内容。
占いが苦手で避けている僕でもするする読める(←飲みやすい青汁的な賛辞)。

それから、いて座のひと向けはこんな。

2015年からいて座の人が体験する試練や困難の多くは「自分が自分の人生を生きていくために、避けては通れないこと」です。たとえばそれは……あまりズバッと書いてしまうと傷ついてしまう人もいるかもしれませんが、ごめんなさい。どこか恋愛を心のよすがにしすぎる傾向であったり、楽観的であるがゆえに生じる見通しの甘さだったり、仕事で避けてきた本質であったり、といったことに、どこかつながっていたり、ダイレクトに切り込むことであったりするでしょう。それらが「自分の人生を生きる」ということに障害になっている場合、強い力で引き戻すような、目を覚まさせるような試練が起こります。フワフワ生きている人をビンタして目を覚まさせる、というようなことが起こるので、「親父にもぶたれたことないのに!」となるわけです

2017年 いて座の運勢(年間占い) - 占い師・真木あかりのブログ

いきなり親父にもぶたれたことないのに!とかなんなんだよw

さすがだなあ。こんな面白い読ませる文章を書けるようになりたいわ(←お前はまず遅筆と誤字を正せって言われそうだけど)。

面白いところだけピックアップしてしまいましたが、内容は至って真摯で丁寧に書かれていますので、年越し前後の穏やかな時間にダラダラしながら読んだりしてみては如何でしょうか。

ちなみに、わたくし獅子座です。しし座。
高校生のころにクラスメイトに何座かを訊かれて答えた瞬間に激ギレされて「しし座のお前は聖闘士星矢ごっこヒエラルキーにおいて上位だっただろ!!お前に牡羊座の俺の気持ちは一生わからない!氏ね!」と罵られた経験がございます。はいどうでもいい情報でしたねごめんなさい。

安定した状況に変化が訪れると、それを「凶」であると認識する人は一般的にとても多いですよね。ただ、これは変化を嫌うという脳の仕組みの問題でもあるようです。ですから、そういう年だということを念頭においた上で前向きに変化に対峙することは、占いの使い方としてとても健康的だろうと思います。自分にとって有利な方向にもっていけるはずだと思って変化に立ち向かうのと、凶事だと思って立ち向かうのとでは精神的な負担も、頑張れる範囲も格段に差が出ます。もし「うわー」となったときは、ぜひご自分にとってプラスになるきっかけということを思い出してみてはいかがでしょうか。まあしし座の人であれば、どんなときも勝てると無意識レベルで信じているような気もするのですが(それが一番です)。

2017年 しし座の運勢(年間占い) - 占い師・真木あかりのブログ

良いことも悪いことも書いてあるんですけど、読んでてすごく心地良いです。

「お前なんか来年こうなるんじゃよ」みたいなことはあんまり書かれていなくて、こういうことに気をつけているとより良い生活ができそうですよと背中を押してくれるような、優しい言葉で綴られていますんで読んでいて来年も一年がんばるぞいと穏やかな決意が湧き上がるのではないでしょうか。少なくとも僕はそういう気持ちになれました。

下記のページから各星座が読めますです。

[blogcard url=”http://makiakari.hatenablog.com/entry/2016/12/27/160933″]

さて。他人の褌で相撲をとるようなエントリーになりましたが、これで今年最後のブログ更新です。

今年最後のブログをここまで読んでくださってありがとうございました。
今年はどんな年でしたか?そして来年はどんな年にしたいですか?

自分の言葉でなくて恐縮ですが、真木あかりさんがこう書いていてグッときたので引用。

2017年、良い年にしてまいりましょう。私は良い年にします。だから、どうかこれを読んでくださっているあなたも心豊かで、あなたらしく自分の人生を生きる、そんな良い日々になることを願ってやみません。

うん、来年も良い年にしてまいりましょう。僕も頑張って良い年にします。

それでは、みなさん今年一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

コミケに一度も行ったことがないような人は好奇心がなさすぎるかどうか分からないけど、デジタル領域とかマーケっぽい視点で見ても刺激的なことはあるんじゃないかな

本日より31日まで、コミックマーケット(冬コミ/C91)が開催されています。
僕が運営しているSTARtedというサービスでコミケ関連の仕事があったので、撮影ついでにファッション・アパレル視点でのコミケ参加レポートを書きました。

[blogcard url="https://started.jp/442"] [/blogcard]

ファッション・洋服関連の視点でレポートというのは、あまり他にないかなあと思って書いたのですが、こちらの個人ブログの方では一応Webサービス運営者である僕の視点でコミケをレポートしてみたいと思います。

アニメ、漫画、ゲーム関係のブースがあるのは皆さんご存知でしょうから、萌え系とかには興味ない人でも興味を持てるように違う方向から祭りっぽさをお伝えできればと思います(今回、僕は仕事の都合で企業ブースばかり回ったので、企業ブースばかりのレポートですが興味ない人にはその方がわかりやすいかなと思いますので、そっち方面でのツッコミは許してください)。

ほら、「SEOのネ申」と畏れられる辻正浩さんも、このように仰られておられまする。

コミケ会場でデジタル領域っぽい視点でコミケをレポートしようと思っていたところに、ふとツイッター開いたらこのツイートが流れてきてビックリしたw
好奇心がなさすぎるかどうかは分かりませんが、多くの人を熱狂させる「祭り」を一度くらいは見てみてもいいんじゃないかなーと思います。

叶姉妹だって一般参加するしw

まあ、それはさておき。

例えば音楽フェスの参加者はサマーソニックが2日間で約20万人、フジロックが4日間で約12万人。

コミケは3日間で50~55万人だそうです。そもそものジャンルやイベントの参加ハードルが違うので単純比較はできませんが、コミケが一部のマニアのためのイベントではなく多くの人に受け入れられているイベントであることは間違いないと思います。

人がゴミのような図

人がゴミのような図2

まさに人がゴミのようだ…。中に入るまでに1時間かかってしまった。

携帯キャリアの基地局

人が多いので携帯キャリアの基地局がパンクしてしまうってことで、ここ数年は東京ビッグサイト周辺各地に基地局車を配置している。

基地局車

ドコモ「夏目友人帳」基地局車

ドコモは「夏目友人帳基地局車。

au「ユーリ!!! on ICE」基地局車

auは「ユーリ!!! on ICE基地局車。

ソフトバンク「黒子のバスケ」基地局車

ソフトバンクは「黒子のバスケ基地局車。

キャリアの中でこの仕事してる人、楽しいだろうなw

メディアとか大手企業とか

まずは、あまり萌え萌えしてないところから。
NHKのブース。混みすぎて近づけませんでしたけどね…

NHKブース

3月のライオン」とか人気ですもんねえ。

TBSブース

文化放送ブース

TBSとか文化放送とか。萌え萌えしてないブースもある的な紹介でw

avex picturesブース

角川ブース

エイベックス・ピクチャーズとか、KADOKAWAとか。

出版社とかテレビ局とかは、やっぱり派手にやってますね。他にもメジャーどころから小さめのところまで沢山あります。
そういえばスポーツ報知のブースがやたら熱気があったな…なぜなんだろ…

ちなみに

人気ブースでの買い物をする人たちが多すぎてブース前に行列できないので、外で待機します(笑)

屋外待機列

これは企業ブースの屋外待機列だけど、企業じゃなくても人気サークルでもこんな感じになります。

コミケに来ると、すごい景気良い感じがして楽しいです。

amazonはブースないけど、Kindle Unlimitedの広告があった

Kindle Unlimitedの広告どーん。なるほど。

Kindle Unlimitedの広告

サイバーエージェントは、AbemaTVとゲームで

サイバーエージェントは、「ガールフレンド(仮)&(♪)」とVRモード搭載の美少女RPGオルタナティブガールズ」でゲーム関連ブースを出していました。

隣接して、AbemaTVのブースも出していて、かなり気合はいってチラシとか配布してましたね。

AbemaTVブース

AbemaTVを広めるの凄い頑張ってる!!って感じでした。

AbemaTVブースその2

pixivブースでエナジードリンク

pixivブース

pixivブースは「pixivコミック」テレビCMをブースで流してました。
いまはこれが推しのサービスなんですね。

[arve url="https://www.youtube.com/watch?v=wFVwn-Yl9jY"/]

で、ブースの前にいたお姉さんが笑顔で何か渡してくれました。
これは…

pixiv DORADO

クリエイティブドリンクpixiv DORADOじゃないですか!!
いや、うそ。何この飲み物?って思って後からググって知りましたw

オリジナルのエナジードリンクなんてやってたのね。

大正製薬のブースでRAIZINEの配布やってたから、あとで飲み比べてみよう。

大正製薬のブースでRAIZINEの配布

pixiv DORADO飲めば僕もクリエイティブになれるのかしら…w

エナジードリンク

ほかにも

他にもWebとかITとかの人なら興味湧くだろう企業ブースや、主役である各サークル(企業ブースはおまけだからね)は沢山あるのですが、もう写真載せすぎて表示が重そうだし、ここらへんで。

読み返してみたら、まったくデジタル領域でもないしマーケ視点でもない普通のレポートになってしまったけど、「萌えアニメ好きな人が行くところでしょ?」みたいな考えの人に少しでも興味持ってもらえたらなーという気持ちで書きました。タイトルは釣りだ。正直すまんかった。

アニメとか漫画とか詳しくない人でも(周り方次第で、だけど)楽しめると思いますので、ぜひネ申の御心のままにコミケに一度行ってみては如何でしょうか。

さて、エナジードリンク飲み比べすっかな…

ストレスで思考が低下しないように「つい考えてしまう」から離れる

誰しもそうかもれませんが、僕はかなり意識してストレスを溜めないようにしています。

僕も自己流なので他の人が同じ行動をしても良い結果になるとは思えないので行動については真似しなくても良いのですが、ストレスの自己管理を強く意識するっていうことはそれなりに意味があるんじゃないかなと思います。

自分にストレスがかかってる心理状態って、同じことをループして考えてしまったりして、その対象について落ち着いて思考することができなくなっていたりすると思うんですよ。

思考力の低下って完全にステータス異常ですが、思考が低下しているから自分がステータス異常に陥っていることに気が付きにくくなります。そうしていると気がついていないうちにどんどん思考力が低下してしまいます。更にそういう時って体調も崩しやすくなるような気がします。

そうならないようにするためには、「ついそれを考えてしまう」という行動をマネジメントすることが大切だと思っていて、できるだけ考えないで良いような環境に自分を置くことを意識するようにしています。
なかなかストレス源をコントロールすることはできませんが、自分の行動を変化させることは意識しておけばコントロールできるものだと思います。

まず、寝られるなら睡眠をとる。
思考力が落ちている時はクールダウンが一番です。

寝られないとか、このまま寝たら余計にモヤモヤしそうという気持ちになってしまった時は、「つい考えてしまう」から離れるために、考えないで良い状況に自分を置くようにします。

例えば僕はそういうときに映画館のレイトショーに行きます。
幸いなことに会社の近所にある映画館は深夜スタートのレイトショーがあったりするので助かります。

観ながら「つい考えてしまう」にならないような作品を選んで、映画館で映画を見ているとスマホも触れないし、暗い映画館の大きなスクリーンで作品世界に入りこんでいると映画を観ることに集中できるので、「つい考えてしまう」から離れることができます。これはプライムビデオとかHuluとかではダメで、映画を観ることしかできない映画館という場所だからストレス源になっている問題から離れられるんだと思っています。

あとはスーパー銭湯的な施設に行ったり、マッサージ屋さんに行ったりします。
僕の場合はですが、お風呂に入っている時やマッサージの施術を受けているときは「つい考えてしまう」から離れられる時間です。

(繰り返しますがあくまでも僕の場合)早めに自宅に帰ったり、カフェとかで過ごしてしまうと、ついついストレス源になる問題のことを考え続けてしまいます。

自分が悪いスパイラルに堕ちないように寝るか映画観るか風呂かマッサージあたりで、ともかく「そこから離れる」を意識するような自己管理をしています。

そうしているうちに、落ちていた思考力が戻ってきて「あー、こんなことで考えこむ必要なかったな。昨日は思考力が落ちていたんだなあ。」なんていう風に考えられるようになり、更には問題を解決したりスルーしたりできる。

「つい考えてしまう」から一旦は離れるという単純な話なのですが、これが苦手な人が多い。

映画やお風呂がみんなに効果あるかどうかは分かりませんが、自分なりの「そこから離れる方法」をいくつか見つけておけば思考力の低下を避けることができるんだと思います。

「俺たち1ヶ月毎日ブログ書くぜ!」に参加して27日目のブログエントリーです。

「俺たち1ヶ月毎日ブログ書くぜ!」という企画に参加して27日目のブログエントリーです。

「俺たち1ヶ月毎日ブログ書くぜ!」は、参加者全員が午前0時から翌朝までの間に1,000文字以上のブログを毎日書くというもの。
翌朝の定義が日の出だったんだけど、たまに判定を甘くしていたりw

お会いしたことがない方がほとんどなのに参加者全員で走りきろう!とみんなでグループチャットで励まし合ったりして、優しさを感じるインターネット的なコミュニティになっている。

僕は元々遅筆なので正直しんどい。
仕事でやるべきことなのに後回しにしていることも沢山あるし、かなり疲れを感じていてもブログを書かないといけないことも。

昨晩は「あえて寝る!」と言って寝たけど、そのぶん今朝は5時起きして昨日分のブログを書いている。
もう来年はこんなことしないぞ……

このブログはダラダラと9年もやっているんだけど、毎日更新しているのなんて初めて。
たまに読んでくれている人ならご存知だと思いますけど、僕は書く書く詐欺の常習犯で、数ヶ月に1回更新、ひどいときは年1回更新くらいで推移している。
それが毎日とは。短期的に他者から励ましてもらいながら何かに取り組むのは効果的なんだなあと思ったり。そらライザップも人気でますわ。

しかし、12月10日くらいまでは何を書くかネタを練って書いていたから、はてなブックマークホッテントリ入りしたりしたんだけど、それ以降ははてなブックマークツイッターも無風w
(昨日のエントリーは少しマシってくらいかな…)

気合い入れて書けば、はてなブックマーク3桁くらいはいくぜと思ってたけど、1回ホッテントリ入りさせるくらいしかできなかったなあ。根拠のないダメな自信でござったよ…

「俺たち1ヶ月毎日ブログ書くぜ!」を始める前までは、はてな匿名ダイアリーの方に書くことが多かったんだけど、そっちも今年ははてなブックマーク3桁までいくようなエントリーを書けてはいないから、みんなに読まれるようなものを書けなくなっているかなあ。ぐぬー悔しいのう。頑張ろう。

とはいえ、あと4日分あるから、その間に1本くらい読んだ人に刺さるようなものを書きたいな。
まだ仕事もバタバタしてるし構想も練れてはいないから難しいかもしれないけど。

とはいえ、多くの人に読んでもらえるようなものは書けていなくても(僕がSNS経由で知る限り)数人は毎日読んでくださっているみたいで、嬉しい限り。毎度ありがとうございます(ここでお礼するのかよ)

さて、オチもなにもないブログエントリーを書いてしまったけど、今日も仕事がんばるぞい。
いってきまーす