友人が「感情を率直に扱えたら論理的」と言っていた話。

ある程度、矛盾なく一貫性ある説明として通っていると考えていることをAさんがBさんに伝えたところ、Bさんはちょっとイラついた態度で「なんとなく違う気がする」と返してきた。Aさんは「その違う気とはなんなんのか説明してくれ。論理的ではない」と切り替えした……

 

これ、Aさん気の毒だなあと思いましたよね。

もちろん僕もそうなのですが、先日ある分野の研究者をやっている友人とご飯を食べたときに「感情を率直に扱えたら論理的」というようなことを言っていました。

ニンゲンなのだから誰しも感情はあるのに、感情が動くことに対して「論理的ではない」と悪いことであるような指摘をするような人や論調があるが、あれは良くない。

こんな感じの話からスタートして出てきた言葉だったと思います。
たぶん。ちゃんと覚えてないけど。

ご飯を食べながらの雑談での会話なので、この話に出てくる「論理」が厳密な意味での「論理」であるかは置いておいて、めちゃめちゃ雑なレベルのぼんやりした話として読んで欲しいのですけれど、確かに「感情がないことは論理的というわけではない」のだし、そういう否定の仕方は良くないかもしれないな、と僕も思いました。

 

さて、冒頭のやりとりのように、Aさんが一貫した説明ができる程度には論理的と考えている考えをBさんに伝えたときに、Bさんがイラついた態度を前面に出して「なんとなく違う気がする」とか返してきたら「その違う気とはなんなんのか説明してくれ。論理的ではない」とAさんが言いたくはなるのは無理もないですよね。実際に言うかどうかは別として、言いたくはなる。

世の中では、こういうときにBさんはイラつくような感情を抱かないようにすべきという話になりがちなのですけれど、友人が言っていた「感情を率直に扱う」というのはそういうことではないのですよね。

Aさんの話に対してBさんがイラついたという感情の発生自体は事実ですので、発生した感情をなかったことにすることは不可能だと思います。
でも「どうして、Aさんのこの意見に対して強い拒否の感情を抱いたのか」ということを自分で考えたり、Aさんとその感覚を共有して理由を探ってみるということは可能ではあるはずです。

おそらく友人の言っていた「感情を率直に扱う」というのはそういうことなんだと思います。

で、発生した感情を「なんか違う」というAさんを否定する言葉にしてしまうのは感情に従っているだけで扱えてはいないってことなのかなと。
自分の感情に従わされているとも言えるかもしれません。

 

感情に従わされてしまうと自分の感情を正当化しようとしてしまうので、相手を否定したり、論理矛盾がある説を作り出してしまったりします。

そしてその謎説に対して「論理的ではない」という返し方をするのは間違ってはいないものの、対立するだけで解決には向かい難いことが多いと思います。
(まあ、そういう選択しかできないこともありますが……)

 

友人が言っていたように感情や感覚がないという人間はいませんから、(Aさんの立場であれ、Bさんの立場であれ)感情自体を否定するのではなく、どうやったら「率直に扱えるか」を考えていけるようになると良いなあと思ったのでした。