以前、質の高い打ち手を選択できる人が判断をせず、質の低い決定しかできないような上司や社長に「どうしますか」と委ねるのはチームがダメになる要因なんよという記事を書いたのですが、今日はその逆で課題解決に必要な能力と情報を持っている人が判断をしなくても上手くいったことについて雑に語ります。
先日、会議に参加してたんですよ。
その会議では、ある課題をどう解決するか話し合って打ち手を決定するというものだったのですが、参加者のひとりが僕より明らかに専門性を持っているプロフェッショナルだったのですね。
なので僕は「どうするかは専門性のある人に決めてもらった方が質の高い意思決定になるし、僕は相手がそれをしやすいよう情報を渡すような役割に徹しよう」と考えていました。
しかし、実際の会議を進めてみると、一番質の高い打ち手を決められる能力があるはずの人が「フジイさんどうするか決めて欲しいです。」と言ってくるのです。
最初のうちは、専門性があるあなたが主導して質の高い意思決定すべきでは……と返していたのですが、会議中に相手を観察していてハッとしたんですよ。
会議で話しあっている解決すべき課題に対して、明らかにこの人の方が高い専門性を持ってはいるのだけれど、グイグイと推進力をもって意思決定するところははちゃめちゃに苦手なんだなと。
たぶん、この人に意思決定をさせようと「専門性があるあなたこそ質の高い意思決定すべき」と言っても、逆にそのプレッシャーでベストではない打ち手を選んでしまいそうだなと思いました。
そこで、その人には「僕が意思決定するのを引き受けるので、あなたは僕が素人判断しないようにベストな意思決定に向かってガイドをしてくれませんか」と伝えて、お互いの役割を確認しながら対話をしたら、上手くその人の特性や専門性を引き出すことができて、質の高い打ち手が決まったのです。
(自己評価ですが)
質の高い判断ができる人は、他者に決定を委ねてはならぬという考えは今でも変わりませんが。
冒頭にも書きましたが、必要な判断材料を持っている人が判断をせず、質の低い決定しかできないような上司や社長に「どうしますか」と決定させることがチームがダメになる要因なんよという記事を以前に書いたことがあります。
しかし、先ほどの会議では、課題解決の能力がある人が意思決定をしなくても上手くいったわけです。質の高い判断ができる人が他者に決定を委ねるのは良くないという考えは今でも変わりませんが、
- 課題解決に必要な能力と情報を持っている人が判断をせず、質の低い決定しかできないような他者(上司や社長とか)に「どうしますか」決定を丸投げすることはダメゼッタイ
- 専門性あるプロフェショナルとして最善策を主張して欲しいし、個人のキャリアとして望ましいが、できない人も多い。
- 専門性あるプロフェッショナルの考える最善策を、そのひとが強く主張しなくても選べるチームづくりを目指した方が実は効率が良さそう。
って考えても良いのかもしれないなーと思ったんですよね。
「できない人も多い」という現実があるので、チームで最善策を選ぶというやり方もあるんだなと。
DACIN は使えるフレームワークなので、もっと世に広まった方が良い。
ただ、「専門性がある人が強く主張しなくても、チームで最善策を選ぶ」をやりたくても、結果的に「質の低い決定しかできないような他者が決定する」になってしまいがちだとも思います。
それへの組織的な対策として、JADEの長山さんから推進者と承認者を分離するDACINフレームワークというのを教えてもらいました。
組織全体で「大きく強い解決」ができなこともあるよね。
そこまでフレームワークをしっかり使いこなせないチームのほうが多いでしょうし、その場合は僕がこの記事の前半で書いたような会議のように、
- 基本は、課題解決に必要な能力と情報を持っている人が「こうすべき」を主張した方が良い。
- でも、決定や主張が苦手なのであれば「苦手である」ということを開示して、チームに委ねる。
- 委ねられたチームメンバーは、自分の素人考えでの意思決定をしないように注意を払いながら、専門的な能力のある人から最善手を引き出すことをがんばる。
ってやり方も、まあアリなんじゃないかなあと思ったんですよ。
DACINフレームワークを徹底するような「大きく強い根本解決」も良いのですけれど、チームメンバーの得意不得意をお互い知って「小さな解決」からスタートするのも、良いんじゃないかなと思ったというお話でした。