チーム内の情報流通より「会議を減らすのが偉い」と思ってる人がいると、結果的に会議が減らない

最近、社内会議におけるチーム内コミュニケーションについて興味が高まって、自分なりに調査や仮説検証をしています。

会議のない会社はほぼないと思いますし、チーム内のコミュニケーション設計として会議を重視して手を入れる会社ってこれから激増するんじゃないかなーなんて考えています。

で、今日は「会議の減らし方」について。チーム内での情報流通を強化することより会議を減らす方が偉いと思ってる人がいると、結果的に上手くいかないんじゃないか、ということを書こうと思います。

 

会議が少なく、上手くいっているチーム

色々なチームを観察していると、会議が少なくても上手くコミュニケーションできているチームもあれば、逆に会議が少ないせいで上手くいっていないのでは?というチームもあるように見えます。

さて、どこにその差があるんでしょうか。

まず会議が少なく業務が上手く回っているチームは「会議を減らすこと」にそれほど固執しておらず、会議自体は少ないけれど、必要だと思ったら短い会議をサクッとやっているなという印象でした。

そして、徹底的に「情報をわかりやすく共有する」ということに拘っていて、チームメンバーにその文化が根付いているのは上手くいっているチーム共通の特徴です。

伝わりやすい伝え方を選ぶようにして「すべてSlackでいい」みたいな単純化しないとか「この情報はわかりやすく伝えるには」を常に意識しているように見えます。

共有のためのコミュニケーション方法やドキュメント、アクセス権限、誰に知ってもらうのか、どのように伝達されるのかを徹底している(本人たちは普通だと思っている)という感じです。

そりゃあ、これくらいちゃんとやれば会議が少なくても上手くいくよなあと。

 

むしろ会議量を増やした方が良いのでは、というチーム

逆に会議が少なくしたことで回っていないチームの場合、(本人たちはそう思っていないけれど)対話や情報共有が足りずに「必要な情報がチーム内にいきわたっていない」状態が放置されがちです。

発信者が情報を伝えているつもりでも、チーム内に情報が行き渡らず、一部の人だけ知っている状態、かつ情報も断片的になっていることも多そうです。

会議が少ない(≒対話が足りない)ことで上手くいかない例のひとつとして、決定までに時間をかけない方が良いことでも「じゃあ次の会議で」となりやすいというのがあります。結果的に1週間あたりの意思決定の量が少なくスピードもどんどん遅くなる。

結果的にチームメンバーの能力に関係なく、ひとりひとりの業務の質量も低くなるように思います。

 

また、このタイプのチームの分かりやすい特徴として、社内チャットもダイレクトメッセージやプライベートチャンネル利用などクローズドなコミュニケーションが多く、情報を共有したがらない文化が(無自覚に)あるように見えます。

 

上手くいってないチームで「情報をわかりやすく共有すればいい」と言ってみても、実際できないのでは。

上手くいっていないチームで、会議量を増やさず「情報をわかりやすく共有する」だけを徹底したら上手くいくのでは?と考えがちですが、ぼくの見た範囲ではこれは上手くいくことはほぼないように思いました。
(上手くいった例があれば教えてください)

これはどうしてそうなるのか。

そもそも、情報をわかりやすく共有される状態を体験したことがないと一部のメンバーが口うるさく「ドキュメントの型(情報の作り方)」や「どのように共有すべきか(情報伝達の仕方)」を叫んだりルール化をしても、わかりやすく共有される状態のメリットを体験したことない人たちでは上手くやれないんじゃないでしょうか。

チームメンバーからすると面倒臭いことを言われているだけで、何故それをしないといけないのか(言葉で言われても)ルールを強制されているようで腹落ちしないし、理解もできない状態に陥ることが多いんじゃないかと思うのですね。

 

そういうチームでは、まずは会議を増やしてでも「情報をわかりやすく共有する」を体験してから、段階をひとつひとつ丁寧に踏みつつドキュメントやテキストコミュニケーションなどの手段を増やしていく方が上手くいくのではないでしょか。

一時期的に定例会議だらけになるけど、ちゃんとやれば遠回りに見える方法が一番早い的な結果になると思います。

 

会議を減らすも減らぬも、良い仕事をするための手段でしかない

しかし、チーム内に「会議を減らす方が偉い」と考えている人がいると、この作業はとても難航します。情報をわかりやすく共有することより会議を減らす方を優先してしまうわけですから。

そりゃあコミュニケーションが上手くいってるなら会議は減らせますが、上手く回っていないなら、何よりも良い状態を作る方が本当は優先すべきだと思います。しかし、世の中では「会議が多いことは悪いこと」とされているので、このような抵抗する人が出るわけです。

会議は少ないから良いという性質のものではなく、「情報を伝達する + 伝達すべき情報を作り出す(意思決定など)」の手段です。そのために会議をすることが適切ならばやれば良いし、別の手段がベストならその手段をとれば良いだけなのです。

「情報を伝達する」と「伝達すべき情報を作り出す(意思決定など)」ができていないのに手段だけ狭めるという理由はないのですよね。

 

環境が整えば、会議は(ある程度)勝手に適量になるんじゃないかなー

この記事の前半で書いた上手くいっているチームのように、会議を減らすことを目的にせず「情報をわかりやすく共有する」を徹底していけば(そういう文化をつくるための段階的な対応やルールメイクも必要だと思いますが)会議の量も結局は「適量」になる、とぼくは思うのですね。

強制的に会議を減らして上手くいく例もありますが、それは「会議を減らすことで、強制的に情報をわかりやすく共有するように促す」が可能なシチュエーションだけで上手くいくわけで、そうではない状態で減らすと「伝達すべき情報を作り出す(意思決定など)機会が失わる」や「情報が雑にしか伝達されなくなる」という結果に終わるんじゃないでしょうか。

 

会議は仕事や事業を上手くいかせるためにやることです。
短絡的に「減らせば上手くいく」とかいう性質のものではなく、会議は「情報を伝達する」と「伝達すべき情報を作り出す(意思決定など)」をする重要な手段であるという観点で向き合う方が良いんじゃないかなーと。

最悪なのは、会議は多いがチーム内の情報流通が上手くいっていないパターンですが…。これについては別の日にまた書いていこうと思います。

では、また。