牧歌的な時代が終わることを「ダメになった」と言いたくない

昨日、書いた「インターネット広告ポエム2023」はマニアックな内容だったのに多くの人に読んでいただき、感想も沢山いただいたのでとてもありがたいなと思っているフジイです。
今日はガチめに雑文を書き散らかすよ。今回の記事には学びや読んでためになることは書いていませんので悪しからず。

 

記事を読んだ多くの方からは前向きな感想をいただいたのですが「フジイさんみたいには希望は感じられない」とか「もう昔みたいなインターネットはないんだ」みたいな悲観的な感想もありました。
まあ、そう思う人もいるよね。

確かにインターネットは、TwitterはXとかいう名前になって月間3億アカウントがいる世界で唯一無二のタイムライン型ソーシャルが大富豪の思いつきに左右されて、分断を煽る情報が飛び交い、メディアを見れば画面領域の7割に不快な広告が差し込まれてくるし、昔からある良いサービスが閉鎖したりしている。2023のインターネットは色々良くないことが多い。

 

でも、インターネットは、牧歌的な時代ではなくなっただけだと思うんです。

インターネットに限らず、あらゆるカルチャーで黎明期や牧歌的な時代を知ってる人は牧歌的な時代の終わりを「ダメになった」と言う傾向があると思います。

 

物理社会だって明治とか昭和の良さみたいなものがあると思うけれど、その時代みたいな社会になって欲しいなんて思わないでしょう?(政治的な意味ではなく、暮らしとか文化の話として)

インターネット(というかデジタル化された人間社会)も、牧歌的な時代が終わって、その時代からいる人にとってはやや複雑で面倒だけれど、多くの人にとって便利でなくてはならないものという時代になっているのですよね。

 

インターネットのことに限らず社会の変化を「こんな社会はダメだ」とか「終わりの時代」みたいに捉える人がいますけれど、歴史をみれば人類社会は5年とか10年とか短期的に悪くなることはあるけれど、50年や100年単位では「だいたい過去に戻りたくないような変化をしてる」じゃないですか。

もちろん感じ方・捉え方はひとによって違うかもしれないし、50年後や100年後に個体として生きているわけではないかもしれないけれど、僕は「50年や100年単位で見たら社会ってめちゃくちゃ暮らしやすくなるんだなあ。その社会を見られる人たちが羨ましいなあ」と思って生きているんですよね。

90年代から00年代に広まった牧歌的なインターネットや、10年代前半にあった牧歌的なSNSはちょっと変わってしまってしまったけれど、やっと牧歌的な時代が終わっただけなんで、これから高度で複雑な多くの人のためのデジタル社会が開けていくわけですよね。そう考えると楽しみだなー。あと200年くらい生きてえ。

 

まあ、つまり何が言いたいかっていうとタイトルまんまなんですけど、インターネットに限らずあらゆるカルチャーで牧歌的な時代が終わることを「ダメになった」とは言いたくないんですよ、僕は。

長期的にみれば、ほぼ戻りたくないような変化に収斂するのだから、新しい時代を楽しんでいきたいなーと思っているのです。

めちゃめちゃ雑文書き散らかしで日記みたいな記事になりましたが、個人ブログなんでええやろ。今日はここまで。