『人を育てたい』って人が多い気がする。


どの業種でも『人を育てたい』って人が増えた気がする。

「育てる」って言葉自体が、なんか上から目線なんで好きではないのだけれど、あえて本エントリでは「育てる」という言葉を使って人材育成について書きますです。。。

       

望んでか、望まずかは別にして「育てる側」の立場にいっちゃった人は、2種類の人がいると思う。

育っちゃった人』 と 『育てられた人』だ。


数値的な根拠とか何もないけれど、感覚では、「育てる側」にいる人は圧倒的に『育っちゃった人』が多い気がする。

良くも悪くも「育っちゃった人」は、パワフルだよね。パワーがあるからこそ、「育っちゃえる」わけで、そういった意味では育てる側にまわるのも必然とも言える。




育てる側に回ると、多かれ少なかれ、自分の経験だとか、自分が成長を感じた体験だとか、そういったものを後進の育成に有効に使おうとするわけです。大抵の場合。

「育っちゃった人」は、自分のセンスとスキルとバイタリティで「育っちゃった」もんで、経験を元に人を育てようにも、自分と同様に『育っちゃうことができる素質を持った人』しか育てられないことが多い気がする。

これは「育てる側」として大きな欠陥となりうる。
『育っちゃうことができる素質』がある人なんて、そんなにいっぱいいないし。
そもそも『育っちゃうことができる素質』がある人は、(ある程度の環境さえあれば)育っちゃうんだから、「教える側」が頑張る必要がなくなっちゃう。

『素質がある人』しか育てられないのでは、「育てる側」としての仕事は何もできていないのと同じってこと。


そういった意味では「育てられた人」のが、自分の体験を元に「育てられる人」を目指せるから、(ほんの少しだけ)楽かもしれないな。ほんの少ししか楽じゃないと思うけどね。




あ、誤解されないように書いておくけれど、会社は義務教育じゃないから、しきい値みたいなものも必要であるとは思ってますよ。もちろん即戦力に近い人材や、育てるコストがかからない人を採用する戦略もアリだと思ってます。

ただ、大抵の場合は、そういったことは難しいんだよね><
コストや事情なんかが許さないじゃない?


「育てられる人」がいて「育つ環境」のある企業は、社員のパフォーマンスが発揮されていて、かつ個人に依存し過ぎないことができるから、環境変化に強いと思う。


『素質がある人』以外を認めないのに「人を育てたい」って言っている人は、ものすごく矛盾してると思うんだけど、割とそういう人って多くありませんか?







管理したいという本能的欲求について。


前回のエントリで、僕はこんなことを書いたわけですが、


よくある企業の失敗として、成長期から安定期に入る過渡期に『変態排除』をしてしまって、結果その企業「らしさ」がなくなり、パワーダウンする・・・というのは、よく見かけます。
成長期から安定期に入る時に、乱気流にハマるみたいに失速する企業が多いのは、ここが原因だと僕は考えているのです。


この例に限らず、事業や企業を『成長期から安定期にソフトランディングさせる』ことは本当に難しい。
ものすごく難しいんだ。


でも、たいていの場合、経営者やリーダーは具体的な問題が噴出するまで気づかない。
または気づかないふりをする(不況のせいとかにしちゃうことが多い)



最近、よく社内で言いまわっているのだけれど『管理は商売の一部でしかないのだから、管理自体が商売そのもの、仕事の本質であるかのように考えるな』ってこと。

・・・自分では大事にしているマインドなんだけど、どうも言葉にするとチープだな(汗)
誰か、格好良く言い換えてくださいw



事業や企業が、成長期から安定期に入る段階になると管理体制の強化が必須になってくる。
その時に、陥りやすいのは、『管理欲求の噴出』だ。

人間に元々そなわっている欲求なのか、日本人の文化なのか知らないけれども、僕の知る限り、人間は『管理したがり』だと思う。(そして、それと同じぐらいナマケモノでもあるのだけれど)


成長期から安定期に入る段階になると、この管理欲求が過剰に反応してしまうのだ。
『企業として』とかいう枕詞をつけて、『○○は管理されるべき』と。


まあ、そこだけフォーカスして切り取るなら、『管理されているんだから良いことじゃない』みたいな話になるのだけれど、その反作用が語られることは少ない。反作用的に売上げが下がったりモチベーションが下がることには言及されなかったりするわけだ。

管理は商売のためにあるのであって、管理は管理のためにあるわけではない。
そして、管理は仕事ではない。管理はツールでしかなく、それ単体で仕事になることなどない。
(上手く表現できずにすみません。意味つたわるかなあ?)


全体最適化を行うために段階的に局所的な最適化を行うためのツールとして管理を使うことができる人は、割と少ない。
だって、それを行うためには文化創造とかビジョンとかいうような大きな視点が必要なんだよ。



管理は全体最適化には絶対になり得ない。
それは局所的な最適化に過ぎないんだけど、まるで全体最適化を行っているような錯覚に陥るんだよな。




























自分はダメじゃないのか、気づかなくてはならない。

近々、隣町(江ノ島)に引っ越してくるらしい、マーケターの河野さんが、引越し業者から見積もりをとった話が気になる。

簡単に説明すると、引越し屋さんの説明不足にガッカリしたって話なんですけどね。


後になって見積もりの明細を見たら、営業の人が「置いていきますね」と言ったダンボールの値段(3,500円)がしっかりガムテープ(320円)と一緒に請求されていた。
いや、別にタダでくれとは言ってないんだけど、「貴重品を入れるのにいくついりますか?」って聞くときに、有料だってことは伝える義務があると思う。こっちは無料だと思うから「じゃあ5枚か10枚」と答えただけで、そもそも「お任せパック」なんだから有料だと聞いてたら「1枚でいい」って言ってるのに。

(中略)

で、これはプロの仕事じゃないなと。

これって、営業さんに悪気はなかったと思うんだよなー。
いや、悪気ないから良いって話じゃないよ。逆。
悪気なさそうだから、プロとしては最低ってことに気づけないだろうなって話です。

自分がお客様に悪いことをしたって営業さんは思えただろうか?
「えー、欲しいっていう数のダンボール置いていっただけなのにー」なんて考えてはいないだろうか。
他社なのに心配になっちゃいます(笑)

「お客様に対して誠実であるということは意外と難しい」って話を部下にしたくて、この話を教訓として引用させてもらったくらい気になる話です。



商売をする者として、河野さんのエントリ本文も教訓になるんだけど、そのコメント欄についたコメントが超至言。

明細にのっけただけで「説明責任」を果たせていると思うのなら、その人はダメだし、会社もダメだと思う。


お客様に対して慣行(自社の都合)で対応してしまっていないか、自分はダメじゃないのか、つねに考えていきたいものですね。胸に刻もう。

ツッコまれるポイントをなくすための仕事


仕事をしていて、たまに見かけるのは『ツッコまれるポイントをなくすための仕事』をしている人。


ツッコまれるポイント(自らの弱点)に気づく能力があるのは素晴らしいことです。

だけれども、ツッコまれるポイントをなくすことは、素晴らしい仕事とイコールではないのです。
そこに気づいていないことが多くて残念に思うわけです。


例えば、何かのサービスの告知を作る時に、「アレはできません」とか「コレにご注意ください」とか「・・・な場合は、XXです」って注意書きを増やすことが親切だと思っていたりするっていうようなこと。

告知ページの半分くらい赤の強調文字で書かれた注意点が羅列しているサービス告知を見て親切なサイトだって思う人は少ないと思うんだけど、そういう注意書きを増やしたれを書きたくて仕方がない人っていうのは「書いてないってツッコまれちゃうじゃないですか。不親切ですよ。」を合言葉に、ドンドン増やしちゃう。

別に本当に必要ならいいんだけど・・・、それって本当にお客様のためになってるのか?
何人中、何人の人が必要なのってことを確認してみると、実は不要だったりするのですが、そういう人は注意書きを凄い勢いで書き足していく。


それってホスピタリティという名の保身じゃんって話ですよ。
お客様に丁寧に説明をするのが嫌だから、「ここに書いてあります」って言いたいだけちゃうんかと。
それって、ツッコミ入れられたくないだけの、ただの痛がりだよねー。



これについては、過去にもホスピタリティという名の保身というエントリを書いているので、良かったら読んでください。


    

『しなやかさ』を持ちたい。


自戒も込めてエントリ。
ぼく自身もそうだけれど、悪く言えば頑固、良く言えば自分の考えがあるタイプの人が身の周りに増えた気がしています。


先日、某社のCOOと話をしていた時に、「会議手法でも勉強方法でも、用意されたフレームワークにのっかる素直さがないと、どんな良い手法(フレームワーク)を用意しても全然ダメ」みたいな話になって、なるほどなあと思ったのです。

もちろん、そこは管理職とかファシリテーターとかが頑張ればいいんじゃねーかって話なんですが、それにしたって受け手側の素直さというか『しなやかさ』みたいなものが少しは無いと先に進めないですよね。




この話、頭で理解することは簡単なんですよ。
最近は色々な人にこの話をしているんだけれど、すると10人中10人が『しなやかさって大事だよね』って言う。


でも、実際には残念ながら、会議手法・販売方法・勉強方法、なんでもいいんだけど、捻りを加えないで『まずは、良い方法を"そのまま"半年やってみる』みたいなことができる人は、あまりいない。


誤解なきように書いとくけど、別に僕は『言われた通りにやるのが偉い』という話をしたいのではないですよ。『言われた通りにやる』ということは実は凄く難しいことで、しなやかさを持っている人は貴重だって話です。


ぼくも『しなやかに物事や人を受けれる』ことができるようになりたいなあ。
それはすごく大事なことですが、簡単なようで難しいことだと思うのです。




   

「やってみなけりゃ、わからない」っていう人が嫌い


いやタイトルは釣りですw

そんなに嫌いじゃないですし、あきらめたら試合終了だって安西先生も言ってます。



ただ、試算とかしたらダメっぽいプロジェクトなのに自分がやりたいって理由だけで『やってみなけりゃわからないじゃないですか』って言ったりするのはナシだと思う。

リスクのある施策なのに、リスクに対してのメリットやリスク回避策を説明できないことを『まずはやってみましょうよ』って誤魔化したりするってのもマズイと思うよ。リスクが低いことならスピードを優先させた方がいいけど。



もちろん神様じゃないんだから未来のことは誰にもわからないし、僕も職場では「巧遅より拙速」って言葉をよく使う。

ただ、ここまで来たら後は本当にやってみないとわからないね・・・ってところまで考えたり準備してから口すべきって気持ちだけでも持つべきなんじゃないかな、うん。



  

現状維持は退歩



ビジネスで停滞と劣化は同義。

ぼくの経験則から言うと、何もしないと2割程度は大事な何かが劣化している。 (←2割って具体的な数値なのに大事な何
かって何だよ、とかいうツッコミは不要ですたい)

本当の意味で現状を維持したいなら、2割分の劣化をさせない努力が必要。
現状維持するにも労力は必要。

何もしないという意味で、現状維持をしようとすると、劣化は免れない。

頑丈な金属だって何もしていなければ酸化したり風化したりする。
磨いたり、手入れをして、やっと現状が維持できる。



もちろん、でき得る限り少しでも前に進む仕事をしたいものですが。  


数字を見るときは関わるヒトやモノに想いを馳せよう


若手に過去の数字を元に目標を出してもらったり、売上経過を見てもらったりしているんだけど、その時に伝えた注意点。

資料の数字を眺めても、ただの数字の羅列でしかない、中身を見なさい、と。

それは分析をしなさいっていう意味ではなくって、もっとシンプルで初歩的なこと。
○百万円とか、○千万円とか見ていると感覚が麻痺するから、その数字の中身に想いを馳せなさいということ。

数百円の商品を運んでいる人がいること、

それを買いに来ている人がいること、

商品を注文する人や運ぶ人、その数字に関わる全ての人や物の動きを忘れて数字だけを見てはいけない。

これがわからないとリアルな感覚をもてないから、分析しようとしても、数字に騙される。

そんなことを伝えました。

うまく伝わったかなあ。。。





チームの一体感を出すのに武者押しや円陣など如何でしょうか。


先日、会議の終りに、ぼくの恩師でもある役員が

勝鬨やろうぜ!」

って言い出したんですよ。

実際、やったんですけどね。




知ってると思うけど、勝鬨(かちどき)ってのは「えい!えい!おぉぉぉぉぉっ!!!」って例のアレのこと。

ぼくの悪いところなんだけど、こういうときにシラけちゃうタイプなんだよな~

ま、でも、そんなぼくでも、皆で掛け声をかけたりするのは、一体感があるし、気持ちも高揚するし、なかなか悪くないと思う。



先日、「そんなの関係ねぇ」って鼓舞をする少年窃盗団のニュースを引用したエントリでも書いたけど、みんなで掛け声をかけたりするのって、すごく刺激的で、気分が高揚する。

これって、悪い使い方をしなければ、チームの一体感が出ていいんじゃないかな。
ちょっと古臭いやり方かもしれないけど、うまくやれれば面白い。
(ぼくは、残念ながら、そういうキャラじゃないけど、盛り上げ役的なスタッフがいてくれたりすると、掛け声を出したりする恥ずかしさがとれて、やりやすくなるよね)



ちょっと検索したら、こんなのを見つけた。

えい!えい!おー!!(教えて!goo)

えいえいおうとは
大将「よいか!よいか!」(えい、えい)
兵「はい!」(応)
という掛け合いでして、兵が繰り返すわけではありません。
武者押しの声にはいろいろあり
「ええ、とう、ええ」「えい、おう、えい、おう」「えいや、えいや」
などあります。

掛け合いだったのか・・・冒頭に書いた会議の終りでは全員で「えいえいおー」って言っちゃったよ。。。
ま、別にいいんだけど。

補足します。

戦場では兵が勝手な大声をあげるのは、無用の混乱を招くということで禁止。家によっては軍法で斬り殺されることもありました。
ところが、無言のまま突撃させると兵の恐怖心が増しますので、発してよい大声を大将が決めていました。これが武者押しの声です。
武者押しの声は、走っている間、兵が繰り返し叫ぶもので、前の回答の「大将と兵との掛け合い」とは「えいえいおう」だけについての説明になります。

おおおお、なるほど~

「無言のまま突撃させると兵の恐怖心が増しますので」って、そりゃそうだよな~
大きな声を出すのって、自分を奮い立たせるのに必要ですよね。

チームで、これから何かを始める時に、一体感を出すのにやってみては如何でしょか。
あ、しらけないようにする「しくみ」は忘れずに。



ちなみに、アイシールド21っていうジャンプでやってる超面白いアメフトのマンガがあるんだけど、主人公がいるチームが試合前に円陣組んで掛け声かけるんだけど、それが
「ぶっ!殺す! YEAH
って掛け声なんだよね(1コマだけ引用しようかと思ったけど、すぐに用意できなかった。残念。)


あれは、そのうちマジでやりたい。もちろん仕事で。

今の仕事で組んでいるチームは女性と割とマジメな奴が多いからやらないけど、少人数のチームで何か始める時とかに円陣組んでやってみたいなあw


どうでもいいけど、生まれて初めて記事中にアソシエイトリンク置いてみる。





小さなことを積み上げよう

ちょっと前に終礼でした僕の経験談


僕がとりまとめていたイベントの日程を各部署にメールした。


当然のように各部署から「問題ありません」という返信がくる。

返信がない部署もあったけど、まあこれは問題ないって意味ととろう。
「必ず返信ください」って書いたんだけどなあ。

と思っていたのら、小規模な部署の責任者からメールが来た。

なぜ、うちの部署はイベントの割り振りが少ないのですか。
規模にあわせているのは理解できるが、少なすぎます。
大規模に展開している部署はイベントがなくとも影響は少ないが、小規模の部署はイベントでライバルと戦うのだから、考慮してほしいです。
内容は少し改変したけど、大筋としてはこんな感じ。

なるほど、ごもっとも。と思って、返信が来なかった規模の大きな部署のイベント回数を削って、そのメールをくれた部署に割り振りした。回数にして、なんと4倍。

極端だったかなあ・・・と思いながら各部署へ変更をメールで連絡したのだが、要望をくれた彼からすぐに返信があった。

イベントですが、こんなに増やしてもらって 本当にいいのですか?
元の4倍ですよ!びっくりです!
ホントは無理言ったから怒ってないですか?

んなわけ、ない。怒るわけないでしょ。

実際のところ、このイベント程度では目に見えるほど売上などの数字が変わるようなタイプのイベントではなかったから、他の部署からも異論は出なかったし。

別に要望をくれた部署の人も、このイベントに賭けているとか、そういうことではないのは間違いない。
でも彼は強く要望をくれた。


で、これが僕の返信。

逆ですよ。怒っているわけないです。嬉しく思っています。

要望を押してでも数字を作りたいという気概のある人は素晴らしいです。
怒るどころか、むしろ、そういう人が増えてほしいと願っていますよ。タテマエじゃなく。

実際は、このイベント程度で大きな影響がないのはお互いにわかっているところだと思いますが、「できる事は何でもやってやろう」という気持ちを持って、小さなことを積み上げて大きなものにしていこうという姿勢は見習いたいと思いました。


自分が意見することで少しでも良くできることなら、小さなことも大事にしていく。
これって、カンタンなようで、なかなか実践が難しいことでもありますよね。