「間違いや失敗は悪いことではない」というのが好きで、口ぐせのように言っています。人生でも事業でもやってみたこと(結果は間違いだったとしても)から学べることは物凄い大きい価値があるからです。
あるとき「フジイさんはそう言いますけど、間違いや失敗って無駄じゃないですか。」と言われたことがあります。なるほど、ハズレ馬券を買わずに当たり馬券だけを買えば確実に儲かる、完璧な作戦っスね―――ッ
当たりそうなことを選ぶのは悪いことではないのですが、実際のところハズレ馬券を買わないで当たり馬券だけを買うのが不可能であるように、当たりそうな施策だけを実施するというのもまた不可能ですよね。
不可能なのですから、ぼくらはやはり間違いや失敗をすることを前提に物事を考えた方が幸せになれるんじゃないでしょうか。今日はそんなことを書きます。
当たりハズレの確認と学習を積み上げる「行動量を増やす」は違う。
ここ何年かぼくは新規事業の立ち上げやシード期の事業を数社でやったりしています。
そういう初期フェーズの事業では「とりあえず行動量を増やして片っ端からやるべき」と考えがちだったりしますが、意外とそれだと上手くいかないのですね。なぜかというと行動量をはちゃめちゃに増やしたとしても当たりに行き着く前にリソースが尽きてしまう可能性の方が圧倒的に高いからで、現実的に「当たるまでの総当りする」を全部やりきれることはないからです。
ハズレ馬券を買わないように当たりだけ選ぶのも不可能、行動量だけ増やしてもダメ、ではどうすればいいんでしょう?
冒頭で「間違いや失敗は悪いことではない」って書いたじゃん、失敗を恐れず片っ端からやるしかないんじゃないの……と言われそうですが、「ともかく行動」だけでは不足があるのですよね。
「間違いや失敗は悪いことではない」というのは、行動の結果が間違いや失敗だったとしても、そこで起きたことを観察し学び続けられるのならば、その学びから良い結果につながる行動が発見できるという話であって、学ぶ準備や姿勢がないまま「当たるまでやってみる」を繰り返すこととは違います。
もちろん思いついたことをどんどん試すのは良いことです。
ただ、試行から得られるのが「当たりました」or「ダメでした」の結果だけなら、経験から得たことを次に活かすことなく、ただただ行動だけ繰り返すことになるのではないでしょか。これだと行動が事業やチームの資産として積み上がっていかないのですね。
当たりハズレの試行回数を増やすのではなく、小さな学びを素早く大量に集めて大きな勝利に繋げる必要がある、とぼくは考えます。
行動量から得た知見が積み上がっていくと資産となって段々と施策の解像度・ヒット率が高まっていくのですが、振り返りをしても「当たったorハズレた」しか得られないような解像度の低い施策を繰り返し実効しても、解像度の低い施策を思いつくしかできない状態が続くので。
個々の施策の結果が失敗であろうと成功であろうと行動から学んで変化しつづけることを重視すべきという話で、これはキレイゴトではありません。むしろ地道で泥臭い話なのですね。
失敗を恐れず徹底的に行動量を増やすならば、学ぶ準備や姿勢とセットであることもまた必須なのですよね、というお話でした。