突然ですが、ぼくはパイナップルの入った酢豚とピザが好きです。温ぱいなぽー最高。
あなたはパイナップルの入った酢豚やパイナップルののったピザが好きでも嫌いでもいい。ぼくが好きなだけなので。
以前から気になっていたのですが、パイナップルの入った酢豚やピザを蛇蝎の如く嫌う人っていますよね。存在すること自体を絶対に許さない的な。
これもネタというか冗談で言ってるなら良いのですけど、たまに割と本気で言っている人がいたり、パイナップルの入った酢豚やピザはいくらでも叩いて良い対象だと思っている人と出会います。
繰り返しますが、あなたはパイナップルの入った酢豚やパイナップルののったピザが好きでも嫌いでもいい。でも、だからといってパイナップルのピザや酢豚が存在することを否定をしていいわけじゃないんですよ。
「嫌いなのは自由だが、でも対象がこの世から消えるべき理由にはならない」
こう書いてみると当たり前のことなんですが、これが(冗談でネタにしているのではなく割と本気で)分からん人がまあまあいるので改めて書いてみます。
インターネットに限らず人間社会で「多くの人が好きではないもの」というのがあります。それがパイナップルの入った酢豚やパイナップルののったピザであり、他にもそういったものが沢山あります。
パイナップル酢豚が好きという人もいますが、少数派なのは仕方ありません。
日本ではフルーツを料理に合わせるのはそこまで普及していないですし、食べ慣れていないという人がいるのは理解ができます。ぼくは美味しいと思うけど。
だから嫌いでもいいんですけど、「嫌い」は「叩いていい理由、攻撃すべき理由」にならないんですよ。嫌いなものはこの世から消えるべきと思ってる人は結構いるんですが、叩いて理由があなたが嫌いだからってのは危険なんだと思うんです。
実際のところ、これパイナップルの入った酢豚の話だからまだネタにできますけど、そういう人は嫌いなタイプの人間もこの世から消えるべきって考えを持ちそうだから怖いんですよね。
嫌いなのはそのまま率直に嫌いで良いので、自分で選ばないなり、避けるなりすればいいだけで、嫌いだから攻撃するなんてことはしなくていいんです。
パイナップル酢豚みたいに多数からは好かれていないものは「世の中みんなが嫌っているのだから排除していい」みたいな感覚になるので、気をつけていないと叩いていいもの、攻撃していいものと捉えてしまいがちなのです。多数派が嫌いなものを排除することに正当性なんてないのに、正当性を感じてしまうのです。
こう書くと当たり前だけど、嫌いな人が多くても存在していいに決まってるでしょう。
酢豚やピザに限らず、叩かなくていいはずの「温かいパイナップル的なもの」を自分が攻撃していないか、存在を許さないと言っていないか、振り返って考えたいものですよね。
なんの話だっけ。
ぼくは、みんなが温ぱいなぽーが好きなだけなんだ。
ちなみに、パイナップルを入れるのは肉を柔らかくするためというのは後付された説明で、主に広州や香港で外国人をもてなすために当時はとんでもない金額を出さないと手に入らなかった高級食材パイナップルを入れた料理を出したという歴史があるからだそうです(諸説あり)。
前述の通り、日本人はフルーツと肉をあわせるみたいなのが食べ慣れていない上に、過去に缶詰とか安いパイナップルを使ったクソマズ酢豚が流通したことがあり過剰にパイナップルを使った料理を嫌う傾向があるんですよね。
食べ慣れるとめちゃめちゃ美味いので、この記事を見て食べてみようかなと思った方はぜひ高級中華の店で出してるところとかに行ってみてね(最近はすっかり黒酢酢豚に侵略されてパイナップル入りを出す店も少なくなりましたが)。
あと、バルバッコアとかシュラスコの店で出てくる焼きパイナップルはマジで激ウマなので温ぱいなぽー初心者はそこからチャレンジしてみてください。ホント美味いよ。