クレーム対応は「まず謝る」が、まず誤り(韻を踏んでみた)

タイトルは韻を踏んでみたかっただけです、ごめんなさい。

企業法務マンサバイバルというブログの「法務マンが教える安全なお詫び状の書き方」っていう素晴らしい記事を拝見しました。

思わず反応して僕もブログ書きます。

BtoBの法務をやっている間は滅多に無かったのに、BtoCの会社に転職してドッと増えたのが、お客様に対するお詫び状を作成・レビューする量。

(略)

お詫び状というのは、まだ紛争状態にない相手に提示する契約書と違って、すでに怒らせている相手に出す文書なわけですから、実は最も緊張度の高い法律文書だったりします。それだけに、慣れない人が書こうとすると「お詫びすると否を認めたことになって損害賠償とか要求されるから、たぶん『申し訳ございません』って書いちゃいけないんだよな・・・」などと悩み出し、お詫び状なのにお詫びの言葉が全く入っていない意味不明な文書ができあがったり(笑)。

法務マンが教える安全なお詫び状の書き方

僕は(法務部門じゃないですけども)このテの書面やメール・対応方針のチェックとかやってるんですけども、やっぱり、こういう風な誤解を聞いたりします。謝ったらダメ、みたいな。

引用元の記事では、法務の視点として「お詫びしない方が良いポイント」を書かれているのですが、「争いになった時に勝つための条件」ではなく、ちゃんと「お客様対応のあるべき姿」として書かれていて、とても正しく、納得の内容なのです。

何について謝っているのかを分析せず、中途半端に謝るだけ謝ってみたり、できもしない再発防止策を口だけで述べたり、逆に原因分析もろくにせずに結果的に何に対しても謝っていないニセのお詫び状を書いたのでは、お客様にも見透かされ、かえって怒りを増長するだけです。

仰る通りですなあ。

大切なのは『何が問題か』を、ちゃんと理解しているかどうか。

ここらへんから話は少しだけズレますが、割とよく『クレーム対応は、まず謝る』って言われてるじゃないですか。

検索でも、そんな文書が大量に見つかりますし、マニュアルや書籍にも書かれていることが多いようです。

でも、それ誤りですから。

上記の引用のように、「企業法務マンサバイバル」でも"何に謝っているのか"が大切って書かれていますよね。

って、そんな風に書くと 「お客様には、まず謝らないと怒りが収まらないじゃないか!」って声が聞こえてきそうですが、謝罪をするなって言っているわけではないので誤解なきよう。
お客様に『キミは何に謝ってるの?説明してみて』って言われたことあります?

『「まず」謝る』って教えている方は、それに答えられないでしょうって話ですよ。

問題は「何に謝罪しているか」なんだよ。

『「まずは」お詫び』とか言ってるのは、『自分でも何にお詫びしてるかわからないけど、とりあえず詫びの気持ちがあるところを見せよう』って言っているのに等しいわけですよ。

何に対して謝っているわけでもなく、ただ怒っている相手を静めたいという、超自分本位でカタチだけ、上っ面だけの、行動。

まさに「クレーム対応」ではなく「クレーム処理」の一例と言えるでしょう。

何に謝っているわけでもない人の「お詫びの気持ちがありますアピール」なんてバカにしてるとしか思えない。

ホントこれ完全にお客様をバカにした行為なんだけど、やっている人たちはそれに気づいていないことが多いんだよな。

だから、『「まず」お詫び』なんてことを軽々しく教えたりする。「どんな姿勢をもって、何に対して、どのようにお詫びするか」ちゃんと教えずにそんなことを言うなっての。

そんな薄っぺらいお詫びでも、僕の経験からすると10人に8~9人くらいは、お詫びとして受け止めてくださるから、「まずお詫び、で上手くいった」って思っちゃう人が出るんだろうけども、薄っぺらい姿勢を見透かして『それ、何に対して悪いと思って謝ってるの?』って質問されるお客様もいるってことをお忘れなく。

そして、お客様をより怒らせてしまったとき、『「まず」お詫び』とか自分本位なことを言っている人たちは、自分たちで火に油をそそいでいるにも関らず、これまた勝手にお客様を「短気で難しいお客様」と評価してしまうことが多いのです。やれやれだぜ。

重ねて書きますが「お詫びをしない」、ということではないんですよ。

「何に謝っているのかはっきりした、心のこもった本当のお詫び」でなければ意味はないし、お客様に失礼だろうって言っているのです。

「まずお詫び」なんて軽々しく言うの、やめませんか?

ホスピタリティ&クレーム対応の勉強会「カサス!」

 

えーと、前から告知していましたが、ビジネスにおけるホスピタリティとかクレーム対応あたりの話題からはいって、企業と顧客の関係性を考えるという主題で勉強会をやります。

経緯というか、考え方はここらへんのエントリを読んでいただけましたら、これ幸い。

 

で。下記のような感じで勉強会やります。

 

カスタマーサービス勉強会 カサス!

■2月26日(土)14:00~
theSOHO 618号室(ゆりかもめ船の科学館」から徒歩5分)

 

 

何度も書きますが、僕自身がそんな「わかってるひと」ではないのでセミナーじゃなく勉強会です。
ムダな時間にするつもりはありませんが、あまり期待度を上げすぎないようにお願いします(笑)

 

ATNDというイベント開催支援ツールを使用しているため、参加をご希望の方は、上記リンク先のページ右上「参加する」ボタンから参加表明をお願いします。

TwitterGooglemixi等の各種アカウントがひとつあればログインできるのですが、アカウントをお持ちでない場合やATNDを利用したくない場合は、メールでご連絡いただければ対応いたします)

 

それと、当日は懇親会も予定しております。
勉強会だけの参加もOKですが、お嫌いでなければご参加いただけましたら幸いです(懇親会だけ参加したい方はメールでご連絡ください)


なお、USTやYoutubeなどでの動画配信のご要望を数名の方からいただいたのですが、今回はセミナー形式ではなく勉強会なので見て面白いものではないと思いますし、僕も初めての試みということもあって、動画配信の予定はありません。
まあ、当日のレポートはブログに書いて、資料も公開する予定ですので、ご容赦を。

 

割とお会いしたことない方から「参加したい」って言っていただけているので、楽しみです。

 

このブログをひっそりと読んでいるそこのアナタも、the SOHOで僕と握手!

※@Talcusさんのお陰で、臨海副都心にある超シャレオツなエロパレス オサレSOHOオフィスであるthe SOHOを使わせていただけることになりました!感謝!)

 

スモールビジネスでもいいじゃんね。


某社長から、web戦略の相談にのってくれって言われたんで(その社長が恩師の息子ってのもあって)ちょいと話をした時のこと。


その会社の立ち上げの時に少しだけお手伝いをしたんだけど、いまは数年経って社員も増えて、安定飛行に入ったところな感じだから、次のビジョンはどんなものを持ってるのか楽しみにして話を聞きに行った。

しかし、どうも話を聞いていると小手先戦術っぽい話が多くて、ビジョンの話なのか、戦略の話なのか、戦術的な話なのか、どうも話の粒度が見えてこないし、相談したいことの文脈が成り立っていない。

とっちらかった話を一時間くらい聞いて、まとめてみると「売上も安定して、社員も増えて、ここまで来たはいいけど、このままだと先細りだから新しいことはしたい」ってことらしい。

その割には相談したいという内容が「こういうページ作ったらSEO的に集客効果ありますかね?」みたいな小手先っぽい話ばかりで、いまいち要領を得ない。

何をしたくて、それをするのかと聞くと「効果あるかなと思って・・・」と。
効果あるナシで言ったら、やらないよりゃマシだろうけども、「このままだと先細りだから新しいことしたい」ひとの相談とは思えないんだよなあと釈然としない気持ちになって、
『えーと、御社は今後ベンチャービジネスに取り組みたいの?それともスモールビジネスとしてカイゼンを積み重ねたいの?』
って聞いてみたんだけど、その答えもボンヤリしていて要領を得ない。

あ、ちなみに、いまさらベンチャーの定義なんてホントどうでもいいし(検索すれば頭の良いひとたちの見解がいっぱい見つかるから、それを読めばいい)、ので、ここへのツッコミは不用ですからねw



スモールビジネスとしては十分に成功していて、でも先細りだから何か新しいことをっていうのであれば、安定したスモールビジネスが破綻しない程度に中期経営計画に将来への投資(ギャンブルではなく)を入れ込んでいくだけだと思うんだけど、それを言っても歯切れが悪い。

じゃあ、カイゼンと短期リターンを積み重ねていく、スモールビジネスの正統派スタイルを貫けばいいじゃないって言うと、それはそれで違うと言うんだよね。


「いま決めなくてもいいし、大切なことだからいっぱい迷えばいいと思うけど、中期的な取り組みとして考えているなら、ある程度はビジョンとか戦略的な経営方針を決めてからじゃないと、戦術的な個別施策のGOをかけない方がいいんじゃない?短期的なリターンをとるための事であるなら、足を止めずにどんどんやればいいだろうし・・・」

僕は自分で作った社内ベンチャーチームをもってはいるけれど、実態としてはサラリーマンで経営者なわけじゃないから、立派な経営者の彼にそんな話するのもどうかなあと思っていたのだけれど、結局はそんなことを言ってしまった。
(それだけで帰るのも何だから、その後に釈然としないままSEOとかLPOの話をして帰ってきたんだけど)



帰宅してから少し考えて、ああ、思い返してみれば、あれは、カイゼンをして短期リターンを積み重ねていく、スモールビジネスの正統派スタイルでやっていくための相談だったんだ、と思った。

実のところ、先細りっていっても、しっかりと地に足をつけていけば破綻するようなことはなさそうだし、むしろ伸びしろはまだありそうだし、あれは今後の方向を迷っているんじゃなくて、上手く表現できなかっただけなんじゃないかなと。

ジャンプアップを狙っていないとか、ベンチャー的ではないって姿勢を認める・表現することに抵抗があったんだ、たぶん。

僕は個人的に、カイゼンと短期リターンを積み重ねていくスモールビジネスの正統派スタイルって大好きだし、ベンチャー的チャレンジングな姿勢に負けないくらいカッコイイことだと思う。
しかし、どうもアレだ、それがカッコ悪いものに感じてしまう何かがあるんだな、たぶん。

しっかりスモールビジネスをやっている人は(チャレンジしている人と同様に)もっと評価されるべきだし、本人もそれを誇っていいと思うんだけどな。


(追記)コメント欄で紹介されている動画が素晴らしいです!ぜひ。















ホスピタリティ&クレーム対応勉強会(の下調べ)



今朝、こんなツイートをしたら

今朝、部下の女の子が 『トイレ掃除をした直後にお客様が使って汚していくのを見たとき「せっかく掃除したのに」ではなく「キレイなトイレを使ってもらえたよかった」と思えるのがお客様商売として正しい』  という話をしていて感心した。ホスピタリィ的にも作業の目的を見失わないという意味でも。less than a minute ago


フォロワーが少ないぼくにしては、なかなかリツイートとかFavとかしていただきました。

まあ、ぼくはツイートしただけで、部下の女の子の発言なんだがなw

あ、「ホスピタリティ」って書いたつもりだったのに「ホスピタリィ」になっとる。ま、いっか。



いやー、それにしてもホスピタリティの話ってみんな好きですよねー。

ぼくのブログ読んでくださっている方とお会いしたときも 「ホスピタリティで売上は伸びません。それでも・・・」ってエントリが頭に残ってますって何人かに言われたことあるし。人気ブログじゃないから、まあ数人だけですけども(笑)


もちろん、ぼくもホスピタリティの話は好きですよ。
上記で書いた過去のエントリにも書いてるけど、リッツカールトンやらザッポスの奇跡やら、レストランのサービス本やらよく読むし。
いろんなエピソードにグッときて、ぼくも頑張ろうって思うし。


でも、まあ実務屋としては本を読んだり温かなエピソードを見聞きして、ロマンや憧れを持つじゃダメだと思うんですよ。
自分の商売・自分の組織におけるホスピタリティとは何かを考えないといけないと思う。

ロマンや憧れだけ持ってるだけなら、趣味みたいなものだし、もし実務として実現できないのに憧れだけ持ってたら、矛盾で苦しいだろうしねえ(サービス提供側にいない方は読み飛ばしてください)



少し話はかわりますが、ぼくは、いわゆる対応が難しいクレーム対応をするシゴトもしているのですが、「どうやって対応してるんですか」って聞かれるんですよ。嫌な話だけど、この質問をしている人の本意としては「どうやって"切ってる"」とか「どうやって"諦めさせているのか"」みたいな意味で聞いてるんですよね。「どこから普通のお客様と違うという線を引いていますか?」っていう質問も違うと思う。

ぼくにとっては、ここらへんの質問っていうのは物凄く的外れに感じるもので、いわゆる苦情対応としても「線を引く」とか「切る」とかいう考え方をしているわけではないんだけどなあ。こういう考え方になっちゃう人の気持ちもわかるけど、普段ホスピタリティを・・・って言っているのにトラブルになったら急に「切る」とか「諦めさせるには」みたいな話になっちゃうのって変じゃないですか?


ホスピタリティとクレーム対応っていうのは、矛盾しているものではないというか、少なくとも対立軸ではないと思うんだ。
意外にそこが世の中では理解されていないというか、矛盾として捉えられているように思うんだよなあー



と、思ってツイートしたのがこれ。

ホスピタリティとクレーム対応って、別に相反しないん(というか、むしろ同じ話)だけど、なんか変に捉えてる人って多いんだな。。。あまり人に語れるようなものがない僕も、ここらへんなら少しは経験もあるところだし、勉強会とかやってみようかしらん。less than a minute ago



どうでしょう、こういう勉強会なんて開催したら参加したい方っていますかね?

ぼくも試行錯誤レベルだから「自分の考え」はあっても「答え」持っているわけではないので、セミナーとかではなく「勉強会」って位置づけになると思うんですけど。

やるとしたら、貸会議室を利用して、その部屋代をワリカンする感じで、、、(人数や場所にもよるけど2000円/人くらいでできるかな?詳しい方、おしえてー)


まあ、人が集まらないと寂しいし、参加したいと思う方がいるのかどうか下調べにアンケートを実施してみますです。


※このアンケートは1月20日まで受付してます!!
参加するかどうかわかんない方も、ご協力ください!


開催することになったときに通知を受け取りたい方のためにメールアドレス入力欄がありますが、必須ではないので匿名でも書けるようにしてあります。
数分で回答できると思いますので、ご協力ください。よろしくおねがいします。











Re: インスパイアなんてやろうと思ってできるのか


昨日の『モチベーション向上じゃなく、インスパイヤを目指そうよ』というエントリに対して、smashmediaの河野さんがこんなエントリを書いてくださいました。


インスパイアなんてやろうと思ってできるのか - smashmedia

真実ではあるけど、結果から見た話にすぎないかなと。つまりインスパイアされた人がモチベーション高いのはその通りだけど、じゃあどうやって人をインスパイアするんだろう。

(略)

そもそも人が人を変えるなんてことはできないわけで、そういう意味では「やる気にさせる(モチベート)」なんてのはおこがましいもいいところで、「きっかけを与える(インスパイア)」くらいが限界なのはその通り。

だけどインスパイアってやろうと思ってする(できる)ことなのかというと、ちがうんじゃないかな。ぼく自身、過去にはうまくいったことも、失敗したこともあるけど、数少ないうまくいった体験を振り返れば、ぼくが相手に対して「インスパイアしてやろう」なんてことはまるで考えてなかった。



いやはや、仰る通り・・・。


たしかに「しょせん結果論」なんですが、されど結果論。
結果でしかないから何もしなくていい、なんてことはないですよね。

河野さんも書かれているように、ときにそれが暑苦しいくらい必死に自分語りをする、伝える努力はしますよね。
結果がコントロールできないからと何も考えるのを止めるのではなく、少しでも伝わるであろうと思えることを行うのは、とても大切なことと思います。



ぼくは(お客様でも社員でも)コミュニケーションって「超能力者じゃないから伝わらない」という前提で「伝える努力をする」ものだと思っています。

他人の気持ちは操作できないし、クチコミもコントロールできないし、お客様でも誰でも自分を好きになってくれるかどうかは相手が決めること。部下の気持ちもコントロールはできないです。


でも、結果が担保できなくとも、こちらの想いを伝える努力はできるじゃないっすか。


インスパイアとなるかどうかの結果は相手次第だけれど、大切にしてほしいことを必死に伝えることはできる。
だから「目指す」ことはできる(と思ったらから前回のエントリのタイトルはああなのです)
・・・言葉が違うだけで、河野さんと同じ意見な感じですよね(笑)


河野さんのようにリーダーとしてのすごい経験がある人は、それを意識しなくてもできるかもしれないけど、その直下にいる管理職や中間管理職が、それを意識しているかどうかが、リーダーの考えを組織内で伝播させるか、文化として根付くかを大きくわけると思います。
ぼく自身の経験としてもそうだし、人数が増えれば増えるほど、その傾向にあると思います。


こういったことを意識している社員の比率が低いと、リーダーの言葉に奴属してしまう社員が増えたり、事務的に対応する社員が増えたりする。(そうなることは企業としても社員としてもお互い損なことなのだけれど、自然にそうなったりするものだから、そういう風に働く人が悪いわけではない)

そう考えれば、会社組織というのは好きで集まったわけじゃない人たちの集団であることが多いし、お金も絡むから、つくづく複雑で難しいものだと思うけど、そんな人の集まりであるからこそ、社員同士のコミュニケーションにおいて大切にすることを共有できていなくては、人心は簡単にバラバラになる。

バラバラにならなための努力を僕には「どうしようもないこと」とは思えないし、努力する価値のあるものにしか思えない。一緒に働いてくれる人のためにも。


ま、そういうわけで「インスパイアする」とか「人を変える」なんてのは、見方によっては傲慢な考え方かもしれないけど、これを「大切にしていることを伝えようとする」って言葉に置き換えれば、それこそ空気のように自然なことなんだと思いまふ、はい。






※誰をバスに乗せるか話はまた次回に書きます。


おまけ:
過去にこんなことも書いてます↓





おまけ2:
まるで僕が毎日ブログ書くみたいなことを書かれていますが、そんなこと書いてないですから。罠ですねwww







モチベーション向上じゃなく、インスパイヤを目指そうよ。

先週、河野さん『ザッポスの奇跡』の著者である石塚さんと会ってお茶をするというので、僕も図々しくついていって、スミっこに座らせていただいてきました。

(今日はマネジメントについて書くので、この時の事はまたの機会に)


ザッポスといえば徹底した顧客主義と、それを支える企業文化が有名な会社ですが、ザッポスに関連した話で僕が一番好きなのは、石塚さんのブログにあるこれ。ああ、折角お会いする機会をいただいたにも関らず、このことについては話さなかったなあ。


リーダーの仕事は、人を「モチベート(Motivate)」するのではなく、「インスパイヤー(Inspire)」することであるというザッポスの考え方だ。「モチベート」というのは、人が何かをするように促すことだが、「インスパイヤー」とは、人の心の中に火をつけ、その人自身が、自発的に「やりたい」と奮い立つようにすること。

そう。そうなんですよ。

ぼく自身は、中間管理職が部下のマネジメントをするのをサポートする立場なんだけど、マネジメントの相談を受けると、たいていここにハマっている気がする。
部下のモチベーション向上こそがマネジメントだと勘違いしちゃうってこと。

ここにハマると、なかなか抜け出せない。

そりゃ、部下からはそういうことを求められるんだけど、モチベーション向上を目的にしていると、ややもすれば部下の要求や都合に合わせたりするのが良い上司と勘違いしてしまうことがある。

そこを指摘されても「モチベーションを下げないように、要望を聞いてあげたい」とかお優しいことをいうマネージャーって結構いると思いません?

そんなマネジメントしてたらピンチの時になっても要求するだけで助けてくれない社員になっちゃうかもしれないじゃない?(本人に悪気なく)

もちろんモチベーションは大切だけれど、ザッポスの話にあるように「モチベート」するのではなく「インスパイヤー」であればモチベーションが下がることはないし、組織の方向性と合わない人も早い段階で自分と組織の考え方の違いを理解することができる。

これはお互いのためにとても大切なことだよね。

とはいえ、表面的な「マネジメント手法」としてこれを捉えているうちは、実践することできないと思う。

文化を作るってことは人のマネジメントというレイヤーからしたら数段高いレイヤーの視点だからね。。。

勘違いしないでほしいんだけど、押し付けの軍隊式ではインスパイアなんできないから、そういうのと混同しないように。

リーダーが定めた組織の方向性に、普段から自然体で触れることができていないと「インスパイヤー」と言われても何も行動できないはず。

大切なのは、まずはリーダーの定める組織の方向性・文化のあり方が明文化できているかと、それが形骸化しないようなコミュケーションと努力なんだと思うな。

さて。ブログ更新するクセをつけたいから、数日以内にビジョナリーカンパニー2が出て以来、みんなが口にしている「誰をバスに乗せるか?」について、つまり採用とその後の人事システムについてを書きます。

(と、宣言しておけば書くだろう? > 自分)

「伝わるメール」の書き方(タイトルに偽りあり)

お客様対応窓口の責任者もやっているフジイでーす。< /p>

話がこじれて誤解されちゃってるとか、お客様がすげー怒ってる時とかで、メール対応しなきゃいけないときってありますよね!

僕んとこの職場では、対応チームのリーダーがメール書くんだけど「フジイさん、ちょっとメール見てくれませんかー」って言われて僕がメールを添削することがあります。(もちろんメール以外の連絡方法を選択することもあるけど、メール対応しなきゃいけないときってことね)

そういったときに、対応業務をしているチームリーダーに僕から色々とアドバイスをしたりするのですが、そこでどんなことしているのか整理してブログに書いてみます。

ちなみにこのエントリを書くにあたって、色々なところ(謎)で「伝わるメール」とか「文章でのコミュニケーション」とか、そのテの話題をみかけたのに触発されて書いています。
顧客対応メールじゃなくても(そもそもメールじゃなくても)本質は同じだと思うので、適宜よみかえてくださいませませ。

いちおう書いておくと、このエントリ長いですよ。

内容に反して「伝わるように書く」とか「読む人への気づかい」とか考えていない書きなぐりエントリですがご容赦をw

自分の行動プロセスの分解とか認知とか。

文章書きのプロでもない僕ごときに添削されちゃうようなメールは、たいてい根本的な『認知』の時点で問題があるのが殆どで、「5W1Hを書く」とかそういう表現では何の解決にもならないことが多い。文章作成技術の問題じゃないおすし。

『認知』っていっても、お客様から来たメール内容の認知っていう狭い意味じゃなくって、自分がメールを読んで、それに返信するまでのプロセスや思考を分解したりだとか、そういうことができてないって意味ね。
(表面的な技術論では解決しない例として取り上げただけで5W1Hで書くことが無意味ということではない)

表現と内容を分離させろ

明日のためそのいち。
「表現」と「内容」を分離させて打つべし打つべし打つべし。

もうなんていうかね、HTMLとCSSファイルを分離させろみたいな。
ビューとロジックはわけて書けみたいな。

文章作成のプロならともかく、普通の人には「表現」と「内容」を同時並行に考えるなんてできるものではないのです。
これやるだけでメール対応が格段にレベルアップしますのでお試しあれ。

いままで数十人かのメール書きの人たちを見てきた経験上からいえば、「表現」と「内容」を同時進行で考えながら書いてると、ちょっと迷って書き進められなくなったとき自分が何に迷っているのかわからなくなってることが多い。多いっつーか、まあ10人中9人がその状態に陥ってる。

書いてるうちに伝えたい内容と違う文章になっちゃった、なんて間違は、これで問題解決できるわけですよ。

何年か前まで、僕も彼らが何を迷っているのかわからなかったんですけど、スタッフが悩みながらメール書いてる時に「どんな内容のメール書いてるの?」って訊いたら「考えながら書いてます」とか答えられたことがあって、やっと問題に気づきました。
自分が何を書けばいいのか分からないのに文章を書いてるんだなって。

さらに色々と問題を洗い出してみると、いま自分が悩んでいるのは「内容」で悩んでいるのか「表現」で悩んでいるのかすら分かっていなかったりする。そりゃダメだ、日本語のじゃなくてマークアップ言語かMVCモデルの勉強からやりなおせ(冗談ですよ)

プロとか超絶センスが磨かれている人とかは、思考スピードがマジ半端ないので、書きながら考えたり、考えながら書いたりできますけど、普通の人にはできない。
普通の人はプロの真似しちゃだめ。
「表現」は書きながら整えた方がいいけど、「内容」は書きながら決めるなんて普通の人にはできないですから。

具体的なやり方で言うと、まず骨格となる「内容だけ」を決めて箇条書きにする。つまりプロットですな。「表現」は後から肉付けしていきます。

つまり、こうゆうこと。

「内容」 + 「表現」= 「文章」

例えば

(1)ご返品は承れません
(2)不良品ではない上、使用済みだったため

・・・という書くべき「内容」があったとします。この内容をまんま送るやつはいないと思います。あ、うそ。たまにいますね。ウチの会社にはいないけど、たまにこういうの送ってくる会社とかあって爆発しろとか思います心の中で。

話を戻しますが、この例で言えば、「表現」を肉付けする時には、ご要望にそえないことについてのお詫びや、なぜ不良品でないと判断されたのかなどの説明を丁寧にしていく必要があります。

ここで重要なのは「表現だけ」を変えていくということです。

新しい「内容」を足したり、「内容」を変えたりしたらダメぜったい。

これがまた、実際にやらせてみると、ビックリするくらいできないんだ。

どうもクセで「表現」を分離して「内容だけ」に絞って考えるのができないし、逆に「表現」を足していく作業の中で「内容」を足したり変えたりしはじめる。

とはいえ、何回かやればコツをつかめるから、やってればできるようになるけどね。

まあ、普通に生きててコミュニケーションの「内容と表現の分離をしてみよう」とか思うのはコミュニケーションマニアっつーか、変態的だもんなあ。まあ、これであなたも変態の仲間入りですよぐへへ。

引き算で読み取れ

実は、「内容」を考える以前のハナシとして、お客様の言っていることを理解できていないことも多いです><

相手の言っていることを理解できてなければメールの書き方とか一億五千六百回くらい書き直してもダメなメールしか送れませんよね。

「書きかた」より「読み方」について後に書いているのは、これは「内容」に「表現」を足して「メール」にするという前提がないと理解が難しいから。

「メール」-「表現」 = 「内容」

そう、メールから「表現」を引いて「内容」・・・つまり、お客様が伝えたいことを洗い出すようにしないといけません。

お客様からのメールには表現として感情や要求、要望などが書かれています。
そういった表現をマイナスして内容を探しだすのは、ちょっとセンスや経験が必要なところもありますが、お客様のメールに書かれた要求や要望は、すべて「表現」でしかなく、「内容」ではないという前提で見るようにしながら経験を積んでいけば短期間でできるようになると思います。

簡単な例を挙げます。(対応の現場だと、こんなわかりやすいメールは少ないけど)

1年前にそちらで購入しました○○という製品なのですが、取っ手の部分が壊れてしまいました。
ものすごく気にいっていたので、とても残念です。
同じ商品を購入しますので、納期と価格を教えてください。

こんな風にお客様のご要望がわかりやすいメールでも、本当に納期と価格だけ返信する人が多いわけですよ。本当の意図が伝わらないこんな世の中じゃポイズン。

引き算したら、こんな感じでしょうか。

(1)この製品は壊れてしまった。
(2)再購入したいほど気にいっている
修理が効くかもしれないし、保証期間内かもしれないですよね。
さらに言えば修理ができるとしても新品が欲しいのかもしれないですよね。

そもそも「伝わるメール」って考えが傲慢じゃね?

実はこれが一番大切かつ、そもそもの足し算とか引き算とか以前の大前提なのであります。書く順番が逆なのは、下流工程から遡った方が理解しやすいのではと思ったからであってオチとして使おうと思ったわけじゃないないないないない(残響音含む)

今は(少し)丸くなった僕ですが、30歳超えるまでは重度の人間嫌い病だった後遺症で、コミュニケーションには一歩ひいたところがありまして。基本的にメールだろうが口頭だろうが、伝えたいことがちゃんと伝わるかなんて自分で何とかできるものではないと思っているのであります。

そもそも「伝わる」なんてさ、相手の理解度を自分がコントロールできると思ってるから、そんな言葉が出てくるんじゃないの?それって傲慢じゃね

せいぜい相手が理解しやすいように伝え方を変えるくらいじゃ「伝わるかどうかは相手次第」なんだよ、コミュニケーションなんて常にそう。『伝わるメール』なんてなくて、「相手が理解しやすいように気づかいをしたメール」程度しかありえない。

伝える側が相手の理解度をコントロールするなんてできっこない。

店のミスに対してのクレームとか特にそう。
その店を許すかとか、また使うかどうかとかは「全てお客様が選ぶこと」であって、「店が選べること」はミスを心からお詫びすること、丁寧に説明責任を果すこと、発生した損害を賠償すること。

店側が「許してもらう」とか「また使ってもらう」みたいな相手の決めることをゴール設定してる(つまり相手を自分が動かすと思っている)のは傲慢だし誠意がないって話だよ。

そういったときに必要なのは「お客様が状況把握をしやすくなるような情報提供」と「ミスに対して誠意あるお詫び」などであって、こちらの誠意が伝わるかどうかの「お客様が選ぶこと」を自分たちでコントロールしたいなんて思うもんじゃあない。

(伝わらなくても良いという話ではないから注意!!)

1回のメールでモノゴトを収束しようとするのだって同じ。

やりとりの回数も相手(場合によっては自分の無自覚)に依存するんだから、自分でコントロールできるところではない。

管理職の僕としては、そもそも伝わらない前提にたって、やりとりが長期化するとか、勘違いしたまま平行線になったらどうするかとか、そういうことを考える方が重要だと思ってます。(もちろん相手のことを考える姿勢をもった上で、ね)

『相手の視点になる』なんて絶対に無理って考えた方がいい。『相手を気遣う』はできる(かもしれない)けど。

人類補完計画でも発動したら伝わるようになるかもしれないけどさw

「お客様は神様ではない」って奴、ちょっと来い


すみませんすみません、タイトルは釣りっていうか何っていうか、えーと、2ちゃんねる風のタイトルをつけてみたかっただけなんです、すみません、だが反省はしていない(キリッ



ツイッターとかブログとか(僕の観測範囲でだけど)ネット上で「お客様は神様ではないから」とか「日本って客が偉すぎるんじゃね」みたいな言葉をよく見かけるようになった気がする。

まあ、そういった主張自体は、理解できなくはないんだけど、「売り手とお客様の関係はそれでいいのか?」というモヤモヤが僕の中にあって、そういった「客は神ではない」という言葉を見かけるたびに違和感をつのらせていたのです。もやもやもや。


んで、いきなり話はズレるのですが、先日でたばっかのもやしもんの9巻を買ったんですよ。もやしもん

もやしもんは農業とか醗酵をテーマにしたマンガなんだけど、そこで農業と消費者の関係について語られているシーンがあるのです。
某農大教授である樹先生の売り手と消費者の関係性の講釈は、鳥肌もんだから、みんな読んだ方がいいよ!
お客様をは大切だけれど、神様扱いするだけではダメだという、一見して矛盾したことをきれいに説明している。



売る側はヤな奴には売らなきゃいい
農家は別に社会奉仕活動してる訳じゃないんだ

「ヤな奴には売らなきゃいい」っていう言い方は、ちょっと誤解を生みそうだけど、通して読むと真意がわかる。

だからこそ消費者が大事なんだよ
(略)
さっきとは逆にこんな奴にいっせんも払いたくねェって買う側だって言えるように消費者と売り手は互いに学び 知りチェックし合い 支え合う のが正しい関係なんだと思うよ

傲慢な売り手から買ってくれるお客様なんていない(こんな奴にいっせんも払いたくねェって買う側だって言える)のだから、お客様のことをちゃんと考えて「この人から買いたい」とか「これだからこそ買いたいもの」って言ってもらえるような努力をしなくてはならないってことで、そしてお客様の言いなりになることではなく「理解してもらえる」ようなアプローチでなくては、その関係性にまで行き着くことはない


んで、樹教授のセリフで一番好きなのは、これ。

売る側は本気で「客は神様」と思っているよ。

YES!YES!!
そうです。そうなんですよ。どんなに「お客様は神様ではないから」とか「日本では客が偉すぎる」みたいな言葉をよく見かけるようになっても、少なくとも僕は(神様という表現はともかく)お客様のことを敬う気持ちを持ち続けるよ。


そして、このセリフはこういう続きがある。


売る立場は本気で「客は神様」と思っているよ。

しかし、買う側に回るとそれを真に受けて神なら何を要求してもよいと思う者もいる。自分が神でなくモンスターになっている事に気付かずに

僕は、樹先生の言葉を『お客様をモンスターにするのも神様にするのも売り手次第』と解釈したね。

だってさあ、売り手が「客はモンスター」と声を大にして叫んで、お客様を責めても関係性は改善されないし。


このエントリで言いたいことは、↑で書いた2行だけ。

(あ、お客様は神様ではないがモンスターでもないっていう大人な方は、僕との言葉選び方の違いだけだと思うので、まあスルーしてくださいな)


このブログでは何度か書いていることだけれど、お客様と売り手の関係性は「神様の奴隷」ではない。
そして、売り手がお客様を「モンスター」なんて呼ぶことがないようにしなくてはならない。
僕はそれを売り手起点で変えられることだと思っているんだよね(これ大事)




スラムダンクの安西先生が、人生の師と思ってたけど、樹教授も加えよう、うん。













「こんなんじゃ商売の神様が逃げちまうよ」




みなさん、静かなオフィスは好きですか?
なんとなくですけど、オフィスは静かな方が集中できて好きって人が多いような気がしますね。


僕は一緒に仕事してくれているチームメンバーに、いつも雑談推奨!ガヤガヤしてて活気あるオフィスにしてほしいって言っています。


あ、意外とね、ガヤガヤしてると集中できないって人でもすぐに慣れるもんですよ。
それどころか僕の経験上、生産性は上がります。本当だよ。


静かに集中する時もあるけど、ずっとその状態だと逆に生産性って落ちるんですよね。
ガヤガヤに慣れると、仕事してて疲れにくくなるし、チームワークも発揮しやすくなるし。

そもそも、ある程度の人数がいるチームだったら「あの件どうする?」とか「○○の件の進捗は・・・」なんていう会話が飛び交うはずなんだから、静かなオフィスになんてなるはずがないんですよ。

程度にもよるけど日常的に静かなのってマズくないですか?

なのに、「静か職場」とか「黙って仕事をすること」とかって良いことって捉えられてる気がするんですよね。僕にはそれが良いことには思えないんですけども。



「雑談推奨」っていう方針だって、手が止まらないこと・生産性が落ちないことが前提。
チームのメンバーには生産性やスピードを落とさずに周りの人が何をしているのか見たり、雑談したりする余裕をもつようにしてもらっている。
これは割と大事にしていることのひとつなんだけど、それくらい余裕がある状態が生産性が一番高い状態だと考えているんだよね。
黙って机にかじりついている状態って短時間はいいけど、長く続くと本人は仕事した気になっているだけで、生産性が落ちていることが多い(高速道路で車の長時間運転をしている人が疲れて周りを見る余裕がなくなっている状態を思い浮かべてほしい)

自分たちが周りを見る余裕をもてているかどうか測る意味でも「雑談推奨」はすごく効果があると思っている。

チームメンバーは生真面目な人が多いもんで集中しすぎて生産性落としちゃう(本人は集中しているつもりだから生産性落ちてるのに仕事した気になっちゃう)ことが多くって、そのたびに僕は「雑談しながらやってね」って言うはめになるわけだ。



まあ、ある意味、日常的にワールドカフェ的な空間というか文化というか、そういうものがある状態にしたいわけですよ。

ワールドカフェっていうのは、おおざっぱに説明すると『堅い会議よりも喫煙スペースでタバコを吸っている時とか、休憩室で雑談してる時のが色々活発じゃね?』という考えのもとに、「カフェ的空間」を意図的に作り出す会議手法。



このエントリのタイトル「こんなんじゃ商売の神様が逃げちまうよ」ってのは、僕の恩師の言葉なのですが、社員の雰囲気が暗い時だとか、こぎれいではあるけれど売れる感じのしないお店を見たときなんかに、よく言っていました。

最近、僕が社内の別部署に行ったときに、あまりの静けさに思わず「おいおい、こんな活気のない職場じゃ商売の神様が逃げちまうよ」と言ってしまったんですよ。

もちろん(笑)ここでいう神ってのは宗教的な意味でなくて、場の雰囲気のことね。

鋭いパス回しをするが如く、活気あるコミュニケーションがとれている状態って、まさに商売の神様がいそうな感じしますもんね。

まだまだ、そこまでチームを作りこめてはいないんだけど、「うちには商売の神様がいるな」って常に実感できるような職場づくりをしたいものですな。



お客様って「売りにきてる人」のこと嫌いじゃないよ


久々のブログエントリ。

最近、ブログとかTwitter「企業は"売り"の気配を出さずに親切・丁寧・おもてなしの姿勢で」的な論調が、もてはやされているような気がして、ちょっとこれは一言書いておくかと久々に筆をとった(ブログを書いた)フジイです。こんにちは。



僕はTwitterで(ほそぼそですが)企業アカウントの中の人をやっていたりするのですが、フォロワーの方から求められているものは『お得な情報』なんだなあと日々感じています。

情報ってのはセールとか、限定品とか、そういう情報であって、今日どんなことがあったかとか、ランチすき家なうとかそういうことではないわけですよ。

いや、べつに企業アカウントで担当者の食う物をつぶやくなって言ってるわけじゃないです。
わかっていて、やっているのであれば、別に問題ないと思いますし、メリットもそれなりにあると思うので。

誤解を恐れずにいえば、お客様の求めている情報が"おそれいりこだし"だと勘違いしている人が多いんじゃないかってことですよ。

※「おそれいりこだし」ってのは加ト吉アカウントの人がよく使うジョークです。これを面白いと感じる人が多いのは間違いないから批判じゃないよ。




・・・興奮しすぎて言いたいことと話がズレました(いつものことだけれど)




僕が、このエントリで書きたいことは「お客様との関係性を勘違いすんな」ってこと。
十数年と小売を(実店舗もECもね)やっている僕の持論ですが、お客様って「売りにきてる人」のこと嫌いじゃないと思うんですよね。

店頭で接客の声がけするにしたって、ブログやTwitterで情報配信するにしたって、それは一緒だと思っています。

僕の経験上、「セールの情報を受け取りたい」とか「郵送でチラシ送ってくれないの」というお客様は多いです。
そう思っていない人にセール情報を送りつけたらスパムでしかないけれど、セール情報が欲しいと思っている人は物凄く沢山いるってことを忘れてる人が多いように思うんですよね。

それなのに、販売のための情報を出さないのが正しいやり方だと思っている人ってなんなの?


実店舗でも同じ。
商品をお探しのお客様にお声がけをするタイミングや会話が下手くそなだけなのに「お客様は声をかけられるのが嫌い」と決め付けてしまったり(お声がけをやめて売上げダウンする店の多いこと!)
お声がけをやめたらお客様が自分たちを好きになってくれるかもしれないなんて、自分たちのレベルの低さを棚上げした小賢しい勘違いをしちゃうんだな。


お客様って "ちゃんと空気を読めていれば" モノを売りに来ている人のことを嫌いになったりしないよ。
空気が読めていない人が嫌いなだけです><


「売りに来ていない」≒「空気読めてる」 と勘違いしている人は、お客様のこと怖がり過ぎだよ。
ビビる必要なんてないんだぜ(大切にすることは必要だけど、それは過剰に恐れることではないよ)

そんな、ABCマートとかでバイトするだけでわかるようなことを勘違いしちゃうような人が、モノの売り方とか、顧客とのコミュニケーションとかを語っているのを見ると、なんだかなあと思うわけですよね。